#貴方の腕の中は、こんなに居心地がいいんですもの。
#ノースシティの通常PAです。
その、強さの為に
泣かない女だと思っていた。
男を相手に啖呵を切る気丈さが、無遠慮に人を巻き込む奔放さが、過ぎた出来事に拘らない潔さが、彼にそう思わせていた。
それが賢しく巧妙な彼女の生き方なのだと気付ける程には同じ時間を共有した。
その姿を目で追い、言葉を交わし、根気よくその思慮を推し量ってきた。
思えば、随分と遠くにまで旅をしてきたものですわね。
こんな風に、誰にともなく発する彼女の独白を、彼は聞き流すべきではない。
気付かれたくないから気付かれない言い方を選ぶのだと言うことくらい、もう彼は分かっている。
そうして心に掛け金をかけて、きっと彼女の心は泣いていると分かっている。
珍しいな。ホームシックか。
そうかもしれませんわ。
随分と素直に認めるんだな。
空はとうに陽が暮れかけて、東が茄子紺の色をしていた。
鈴を転がすような虫の音が、窓越しに鳴っていた。
恐ろしい、と彼女は言った。
よく知った故郷の景色に似ていることが、恐ろしいと。
ここには、私を知っている人が誰一人いない。私の知っている物が何一つない。
それがこんなに恐ろしいことだなんて、知りませんでしたわ。
彼女が小さな板を手に取り天井に向けると、途端に部屋の明かりが点いた。
洋灯を模した、それは故郷と似て非なるもの。
失われた過去を懐かしんで、それによく似た、似て非なるものを造り出しているのだと聞いたことを思い出す。
この街が、この世界そのものが、彼らが生きていた世界によく似た、しかしまるで違う世界なのだ。
それが恐ろしいと彼女は言った。
それは彼がこの世界に漫然と抱いていた畏怖そのものだ。
不機嫌を装って隠す彼と、寛裕を装って隠す彼女は、異なるようでよく似ている。
俺はお前と同じ国で生まれた。
同じ国で育ち、同じように世界中を旅して、今は同じ街にいる。
俺がお前を知っているし、お前の知っている物を俺も知っている。
だから彼にはほんの少し、一緒に背負うことができる。
彼女がこの世界に感じている孤独を、虚無を、悲嘆を。
そこから目を背けて、恐らく彼女が望む通りに、何も知らない振りをすることもできる。
困りましたわね。私、あなたのことをいけ好かない男だと思っていますのよ。
知っている。前にも聞いた。
そうして彼は従容と微笑う。
彼女の隣に立つ時に、いつもそうしてきたように。
不本意か。
ええ勿論。
そうして彼女は悠然と微笑う。
彼の腕に捕われる度に、いつもそうしてきたように。
でも、もう降参。貴方の腕の中は、こんなに居心地がいいんですもの。
何処か他人事のように、誰にともなく発する彼女の独白を、彼は敢えて聞き流す。
それでも泣かない女なのだと言うことくらい、もう彼は分かっている。
それが賢しく巧妙な彼女の、周到な生き方なのだと分かっているから、この先も同じ時間を共有する。
その姿を腕に捕え、言葉を引き出し、注意深くその思慮を推し量る。
そうしていつか彼女が涙を零す時に、やはり彼女が望む通りに、何も知らない振りをするだろう。