屋上にて

#ルカさんがうまく歌えない話。
#ルカのほうがときめき度が高く、メイコのほうが愛情度が高いやつ。
 

 
屋上にて
 
 新しくもらった曲は私とルカの重唱だった。
 私は私なりにそれを楽しみにしていたし、ルカにも緊張した様子や、戸惑っている様子はなかったように思う。にもかかわらず、どうもこの重唱のレコーディングが今朝からうまく行かない。
 調子が悪い、と言うのは少し違う。けれどルカの何かが変だ。気が抜けきる前のシャンパンとか、電池が切れそうな鳩時計とか、そういう妙な違和感。
 リテイクを重ねたけれど満足の行く仕上がりにならなくて、レコーディングは少しの間休憩になった。珍しいことがあるものだ。
 歌唱においてはルカは器用な子だ。苦手な音域があるとか、一度躓くと同じ箇所を何度も録り直すとかは、私にはよくあるけれどルカにはあまりない。
 頭を冷やしてくる、とルカがスタジオを出ていったのが五分ほど前。どこかで泣いていなければいいけれど。ああ見えてあの子は負けず嫌いだ。
 ルカの様子を見てくると言って私もスタジオを出る。都心の七階建ての雑居ビルで一人になれる場所は多くない。上から攻めればいいだろうと、屋上に行ってみれば大当たり。ルカは何をするでもなくそこにいた。
「私でよかった?」
 ばつが悪そうな様子のルカと目があって、私は色々な意味を込めてそう尋ねる。
 相手が私だからうまく歌えないのだと、なんとなくはわかっていた。けれどそんな時にパートナーにかける言葉を私は持っていなくて、だからこれは私にとっても、クリアしなければならないことだ。
「メイコさんじゃないと、嫌です」
 風の音に消え入りそうな声でルカが言った。その言葉に私は安堵する。
「おいで」
 それだけではきっと来ないから、私からルカを引き寄せる。
 私とそう変わらない体型に見えるのに、こうして抱きしめるとルカは華奢で、壊れてしまわないようにそっと背中に手を回すこの瞬間に、私はいつも胸を締めつけられる。
「泣いてないですよ」
「うん。私がこうしたいだけ」
 そうしてしばらくそのままいた。
 どんな理屈を並べたって、結局のところ私はこの子が好きで、泣きそうな顔をしていれば抱きしめたいし、困っていれば助けたいし、落ち込んでいたら放っておけない。
「恋の歌は、苦手です」
 ぽつりと、思い立ったようにルカが言った。言いながら私の肩に顔をうずめて、腰のあたりに手を回す。
「メイコさんと一緒のときは、特に」
 好きがあふれてしまいそうだとルカは言う。抑えきれない想いが怖いと。
「そうなんだ」
「はい」
 確かに今日の歌詞はそれそのものだ。けれど女声の重唱で綴るのは、目の前の相手への気持ちではなく、ここには居ない誰かへの想い。それでも私がそこにいると、どうしてもそれができないのだと、ルカは私の腰に回した手にぎゅっと力を入れた。
 なんて不器用なのだろう。
 なんて不器用で、可愛くて、いとしい私のルカ。
「聞かせてよ」
 そう言った私に意味を問うように顔をあげたルカは、目に涙をためていた。
「私もルカに歌うから」
 だからあなたも、私のことがどのくらい好きか、あなたの歌で私に聞かせて。
 声に出さなかったその言葉を、どうやらルカは汲み取ってくれたらしい。
「いいんですか?」
 遠慮がちに、でもきっぱりと、メイコさんよりうまく歌う自信があります、とルカは言った。
「頼もしいわ」
 そうしてルカの涙が乾くのを待って、私はルカの手を引いてスタジオに戻った。
 その日収録した歌のデータを、私が後生大事に持っていることはルカには内緒のはなし。