#これ以上の幸せなんて、きっとどこにも無い。
#長閑な午後の木陰で、読書する人、眠る人。
暖かい陽射しに
暖かい陽が差す昼下がり。旅間にも長閑な陽気が差し掛かる。
自由時間だと言われて暇を持て余していたセリーヌは、道具屋ブルーフラスコで楽器を見せてもらっていた。
「あれ、セリーヌじゃない」
店の奥から呼ばれて、セリーヌが振り返る。
「チサト。今日は道具屋さんの取材かしら?」
店の奥から階段を降りて来たチサトは、肩から愛用のカメラを下げ、小脇に書類や原稿の束を抱えていた。いかにも仕事中の格好だ。だがセリーヌの問い掛けに、チサトは紙束をひらひら横に振る。
「んー、取材って言うか、実はここ、私の実家」
忙しくて普段あんまり帰ってないんだけど、と苦笑いの顔を見せた。
「そうでしたの。私もトレジャーハントをしている時は似たようなものですわ」
セリーヌがそう言って笑う。カウンターにいた店の女主人とふと目が合って、店主が軽く頭を下げた。チサトの母なのだろうと察して、会釈で応える。
「そうだセリーヌ、今暇だったりしない?」
手近な位置にあったオルガンの上にカメラを下ろして、チサトが尋ねて来た。
「ええ、まあ、暇は暇ですけど」
突然訊かれて歯切れの悪い返事になってしまったが、チサトは気にするでもなく小脇の原稿をセリーヌに見せる。
「本社に送る原稿書いてたんだけどさ、一度誰かに見てもらわないと直しづらくって。お願いできない?」
「それは構いませんけど、これ全部ですの?」
渡された紙の束についセリーヌは呟いてしまった。びっしり文字の敷き詰められた紙が数十枚。新聞記事にするには随分多い。
「そうよー。全部。これだけあれば編集長も文句無いでしょ」
チサトに言わせれば、長期取材なのだからそれなりの質と量で記事を書かなければ、と言うことらしい。上手くすれば今後連載にしてもらえるかも知れないとも言う。
「分かりにくいとこがあったら後で教えてね。それじゃお願い」
言い残してチサトは店を出て行った。
いつものことながら彼女のバイタリティには驚かされる。チサトの様子を微笑ましく思いながら、セリーヌもブルーフラスコを後にした。
天気も良いし、どこか木陰を探して読もうかと、街の中央を走る石段を昇って行く。
図書館の脇の、林の奥に小さな広場を見つけた。樹々に囲まれた芝生の敷地に、木造りの長椅子がいくつか設置されているのが覗える。セリーヌは軽い足取りで林を抜けた。そこで思わず足を止める。
先客がいたようだ。
野太い幹の向こうで僅かに揺れた影の主。セリーヌには一目で誰か分かった。気付かれないように気配を殺してゆっくりと近づく。いたずら心を起こして、チサトの原稿で後ろから顔を覆ってやった。
「セリーヌか」
「あら、分かっちゃいました?」
つまりませんわ、と唇を尖らせて男の肩に手を乗せた。座っていたのはディアスだ。
「何か用か」
仏頂面でディアスが言う。無愛想な口調にはもう慣れていた。
「特に用はありませんけれど、お隣、よろしいかしら」
好きにしろと言われるより早く、セリーヌはディアスの隣に座る。
「何だそれは」
セリーヌが持っていた紙の束にディアスが呟いた。
「チサトが書いた原稿ですわ。読んで欲しいって頼まれたんですの」
「そうか」
「一緒に見ます?」
「俺はいい」
そう言われながらもセリーヌはディアスのほうへ体を寄せた。
「おい」
身動きが取れなくなったディアスが困ったように言うが、セリーヌはもう原稿に目を通し始めている。
「なかなか面白いですわよ。さすがプロですわね」
感心しながら読み進めているセリーヌに、仕方なくディアスもセリーヌの手元を見遣る。
一枚目の見出しには『双頭竜の剣士、愛の場で見せた男気』と記されていた。ゴシップ週刊誌じゃあるまいしとディアスは苦笑する。
内容は愛の場でアシュトンがレナを庇って怪我をした話である。その時アシュトンも笑いながら言っていたが怪我自体は大したことがなく、レナにもそれほど深刻な危険が及んだ訳では無かったのだが、原稿に起こされる段階で随分と劇的な展開にされていた。光の勇者との三角関係か、とまで書かれている。
記者と言うのも大した商売だとディアスは呆れたが、セリーヌは面白そうにそれを読んでいる。もともと暇を見つけては古文書や呪紋書を眺めているような彼女だ。何かを読むことが単純に好きなのだろう。
無意識に口元を緩ませてディアスは目を伏せた。セリーヌのお気に入りの香水と、時折吹く微かな風の香りが心地好かった。
気がつくと、太陽が少しだけ西に動いていた。
「どんな夢を見ていましたの?」
隣に座るセリーヌに訊かれて、何も、と答える。チサトの原稿はもう読み終えてしまったのか、セリーヌの手元は空だ。
「私の夢を見てくれていたら、嬉しかったんですけれど」
からかい半分に、くすくすと笑いながら。
「次は心掛けよう」
自分の口から出たとは思えない台詞に、ディアスは言ってから自分で驚く。
「ぜひそうして下さいな」
風に遊ばれる髪を押さえて、セリーヌがそう言った。穏やかな顔で笑う。
こうやって彼女が笑う顔を見るのは嫌いじゃない。
彼女が持っている穏やかな空気も嫌いじゃない。
側にいるだけでその空気を分けてもらったような気になれる。
そっと視線が交わった。吸い寄せられるように、唇を重ねる。
大事にしたいと願う時間。大事にしようと願う想い。
唄うような葉擦れの音が、耳に残った。
最後の一枚を読み終えて、セリーヌは原稿の束を脇に置いた。風で飛ばされないように、着けていた腕輪をはずして乗せる。
高台のこの場所からは、少し歩けばもう海だ。遠くには水平線がよく見えた。
景色が良いと気分も良い。それだけで得をした気になれる。
「寝ちゃったら勿体無いですわ」
長閑な午後を昼寝で過ごすのも悪くはないけれど。どうせなら一緒に見たいから。そう思った拍子に肩が軽くなった。セリーヌにもたれ掛かって眠っていたディアスが目を覚ましたようだ。
「どんな夢を見ていましたの?」
髪を撫で付けながら太陽の位置を確認するディアスに、穏やかな声でセリーヌが尋ねると。
「お前の夢だ」
思いもかけなかった答えが返って来た。目線を明後日のほうへ向けながら、ディアスはいつにも増して仏頂面をしている。それを見ていると、少しからかってやりたくなる。
「どんな?」
期待を込めた眼で仰ぐと、ディアスはますますそっぽを向いて、ぼそりと呟く。
「もう忘れた」
機嫌の悪そうな口調だ。
セリーヌはそんなディアスの態度に、気付かれないように笑いを零した。
照れている時はいつもこんな態度をとる。
本当は嬉しい時もこんな顔をする。
嫌いじゃないは、好きだってこと。
ちゃんと覚えているから、もう忘れた。
風が静かに吹いて、チサトの原稿の端が少し煽られた。
木の葉が微かにざわめいて、そろそろ傾きかけた陽がその影を揺らす。
こうして一緒にいられることがとても幸せで、暖かい陽射しと涼しげな木陰が心地良かった。
これ以上の幸せなんて、きっとどこにも無い。