この一年を一緒に過ごしてくれたあなたへ

#ルカにメイコさんは天然たらしだと言わせる話。
#メイ誕2018。
 

 
この一年を一緒に過ごしてくれたあなたへ
 
 珍しくルカが先に起きている。起き抜けにそんなことを思いつつ、メイコはシャワーを浴びにバスルームへ向かった。
 夕べは仕事仲間と飲みに行って、話が弾んだせいでつい飲み過ぎてしまった。家に帰ったのは深夜で、ルカはもう寝てしまっていたけれど、ささやかな抗議なのか寝室のサイドテーブルにミネラルウォーターとウコンドリンクが置いてあった。おかげで今日のメイコは二日酔いではない。
 寝坊したわけでもないメイコより、ルカのほうが早く起きているのは珍しい。朝に弱いルカはいつもメイコに起こされて目を覚ますし、そこから動き出すまでにも時間がかかる。それが今日に限ってメイコより先に起きていて、朝食の支度まで済んでいて、ダイニングのテーブルには焼鮭と、キャベツときゅうりの浅漬け、ほうれん草の白和え。キッチンからは味噌汁の良いにおいがする。
「おはようございます」
 お玉を片手にそう言ったルカは機嫌が良さそうだ。朝食の出来ばえは満足のいくところらしい。
「おはよう。珍しいわね」
 早起きも和食も、深夜の帰宅を追及されないことも。今日は特別な日だから、とでも言うのだろう。料理が得意でないルカは、そうでもなければ朝から味噌汁を作ったりしない。なかなか可愛いことをする、と思いつつメイコは席につく。
「頑張りました」
 どこか得意気に言ったルカが、湯気のたつご飯と味噌汁を並べて、朝の食卓の出来上がり。
 こんな風に始まる誕生日の朝も悪くない。メイコはいつもより丁寧にいただきますを言った。
 
***
 
 月曜日の真昼の百貨店は空いていた。予定どおりに買い物をすれば大荷物になるであろうルカにとっては有り難いことだ。
 先週末から今日にかけてのメイコは忙しい。所属会社やスポンサーがメイコの誕生日に便乗して企画したイベント仕事がひっきりなしに入っている。
 昨日までのそのいくつかにはルカも仕事として参加して、おかげで今日の休みが取れた。ひととおりの仕事をやり遂げて帰ってくるメイコと、二人でささやかな打ち上げ兼誕生日パーティーを開くのが今日のルカの予定だ。日が高いうちにその材料を調達していまいたい。
 リビング雑貨のフロアを、ルカはワイングラスの売り場を目指して進む。けさ冷蔵庫を開けたらど真ん中に陣取っていたピノ・ノワールのシャンパンは、昨日メイコが仕事仲間から誕生日プレゼントにもらったものだと聞いた。きちんとしたシャンパングラスに注げばきっと美味しいのだろう。けれど専ら日本酒を好むメイコは、良い酒器は持っていても良いシャンパングラスは持っていないので、まずはそれを買うことにする。
 次は地階に降りて、シャンパンに合いそうなスモークチーズとオリーブの実。カナッペにするバゲット、アンチョビ、生ハム、ブラウンマッシュルームと果菜類。それからメイコが好きそうな辛口の日本酒の、ひやおろしの四合瓶。最後にトリュフ塩を買った。
 手のひらサイズの小瓶に入った、三十グラム二千円の塩だ。いつだったかルカがメイコに連れていってもらった五つ星ホテルのバーラウンジで、なんの変哲もないポテトフライから高級料理の味がしたのはこの塩のおかげらしい。まるで魔法の粉だと評したルカにメイコは大層ご機嫌で、魔法の粉はどんな食材も美味しくすると教えてくれた。きっと今日のルカを助けてくれるだろう。
 買い物を終えたルカは、予定どおりの大荷物を抱えて百貨店の出入口に向かって歩く。大通りに面した、いちばん人足の多い出入口の脇には花屋があって、冬に向けてディスプレイされたポインセチアやシクラメンの、鮮やかな赤が目に留まった。
 
***
 
 メイコが帰宅したのは夜九時半。これでも仕事を終えて急いで帰ってきたのだが、待ちくたびれたのかルカはリビングのソファでうたた寝をしていた。
 床続きのダイニングキッチンを覗いてみればテーブルには小洒落たテーブルクロスが掛けてあって、カトラリーと見覚えのないシャンパングラスが並んでいる。キッチンカウンターにはルカがお客さま用に秘蔵しているアンティーク食器に盛りつけられた、夕食や酒の肴にするらしき料理。トリュフ塩なんて珍しいものまである。これは肉でも野菜でも卵でも、何でも美味しくしてしまう上に意外と日本酒にも合うのだ。そう思いつつ冷蔵庫を開けると、気が利くことにシャンパンの隣でひやおろしの瓶が冷えていた。ルカはこれらの準備をして力尽きたのだろう。そういえば朝も早かった。思い返してメイコは顔を綻ばせる。まったく今日のルカは可愛いことばかりする。
 思った矢先、いつの間にか目を覚ましたルカがリビングからおかえりなさいと声をかけた。
「ただいま。今日はご馳走だね」
「はい。すぐに準備しますね」
 こんなやりとりをまるで新婚家庭のようだと浮かれていた頃もあったけれど、二人で暮らすようになって何年か経って、ずいぶん当たり前のことになったとメイコは思う。誕生日をルカと過ごすのも、ルカが特別に張りきるのも。この先もずっとこんな風に、いろんな当たり前を二人で作って行けたらいい。
 寝室で部屋着に着替えたメイコがリビングに戻ると、テーブルの準備はもう済んでいて、ルカはシャンパンのキャップシールを剥がし終えたところだった。
「やろうか」
「お願いします」
 ルカからボトルを預かって、メイコはたちまちポンと良い音をさせて栓を開ける。その勢いのままグラスに注ぐと、シャンパンらしい細やかできれいな泡が広がった。さっそく二人で乾杯する。
「このグラス、買ったの?」
「はい。メイコさんへの誕生日プレゼントです」
 即答したルカにメイコは苦笑する。朝食どきにピノ・ノワール用のシャンパングラスがないことを嘆いていたのは主にルカだ。これは希少品なので相応のグラスで味わって飲むべきだと。メイコはシャンパンの味に明るいほうではないので、うすはりの日本酒用のグラスで飲んでも違わないと思っている。けれどルカがこの上等なグラスで、上等なシャンパンを美味しそうに飲んでいるなら、それはそれで満足だとも思う。
「たまにはいいかもね。シャンパンも」
 グラスを傾けて泡の様子を眺めながらメイコが呟く。すると目の前に黒い化粧箱を差し出された。
「これもプレゼントです」
 ネックレスにしては大きい、ワインボトルにしては小さい、金色のリボンが掛かった箱。メイコがそれを開けると、中には真紅の大輪の薔薇が入っていた。たった一輪の真紅が、箱の黒地によく映える。
「こっちが本命?」
 どこか嬉しそうにメイコは尋ねた。赤はメイコの好きな色だ。
「そういうわけじゃなかったんですけど、お花屋さんの前を通ったら赤い花が多くて、メイコさんの色だなあと思って」
 情熱の色、熾烈の色、慈愛の色。ルカが心惹かれたその色は、メイコにとてもよく似合う。
「情熱的な愛」
 唐突なメイコの言葉に、ルカは少しのあいだ思案した。
「花言葉ですか?」
「そう」
 真紅の薔薇の意味するところは愛と情熱。それを一輪だけ贈る意図は、あなたは私のたった一人の人です、というメッセージ。けれどルカがそれを意図したかどうかはメイコにとって、実はあまり重要なことではない。
「私はそれを受け取ったってことでいいのよね?」
 当然のようにさらりと言ってやれば、肯定するほかないルカはすっかり照れてはにかんでみせる。その顔が今日いちばんのプレゼント。
「メイコさんみたいな人を天然たらしと言うんです」
 悔し紛れに呟きつつも、ルカは満更でもない様子だ。こういうところは何年経っても変わらなくて、今日までの長い時間を一緒に過ごしてくれたルカを、メイコは改めていとおしいと思う。
「たらされてくれて嬉しいわ」
 軽口を叩いて席を立つと、キッチンの食器棚からガラスの徳利を出して、ルカの情熱的な愛、もとい真紅の薔薇を一輪挿しにして、ダイニングテーブルの中央に置いた。
「ありがとうルカ。また一年よろしくね」