ホットワインと明日の夕飯

#ルカさんがどさくさに紛れてメイコさんに求婚する話。
#メイコさんは嫌なことがあった日は良いお酒を買う。
 

 
ホットワインと明日の夕飯
 
 その日は少し落ち込んでいた。
 それはほんの些細なことの積み重ねで、新曲が私の苦手な音域でうまく歌えなかったとか、帰りに買おうと思っていた蔵出し原酒が売り切れだったとか、夕飯のクロマグロのソテーがだいぶ焦げて出てきたとか、取るに足らないあれやこれやが積もれば何とやら。夜が更ける頃にはすっかり脱け殻のようになっていた。
 そうして誰もいないリビングのソファにもたれて呆けていたら、不意に、目の前のローテーブルにホットグラスが現れた。
 立ち上る湯気から、酸味の効いたぶどうとオレンジと、微かなシナモンが香る。こんな夜に相応しいホットワイン。
「どうぞ」
 にこりと笑って、ルカは私の隣に座る。こんなのいつの間に作ったのだろうか。というより、いつからいたのだろうか。リビングと床続きのキッチンに誰かいたら、今日ほど呆けていなければ気がついただろう。
 ダメだ。結局うまく行かなかったフレーズを明日録り直すことと、今ここで飲んでいるはずだった蔵出し原酒のダメージが思ったより効いている。
 ルカは私の隣で、特に何を話すでもなく、自分のグラスを両手で持ってこくりと一口。
「今日は上手に出来ました」
 満足そうに、独り言のように感想を漏らす。
 倣って私も一口。良い香り。それに、暖かい。
「うん。美味しい」
 呟くと、隣で顔がほころんだ。ルカのその顔、私はすごく好きだなあ。
 湯気の立つグラスをもう一口。私好みのぶどうの味、私好みのシナモンの加減。
 ルカは、私の好きなものを作るのがとても上手だ。
 夕飯のクロマグロは焦がすくせに、私を立ち直らせるのはこんなに巧い。
「お嫁さんにいかがですか?」
「よく言うわよ」
 それは魚をもう少し上手に焼けるようになったら考えてあげようと思う。こんなに美味しくホットワインを作れるのだから、そう難しいことではないのだろうけれど。
「明日は一緒に作ろうか、夕飯」
 何気なく言うと、ルカは何度かまばたきをして、嬉しそうに微笑んだ。ああ、ルカのその顔、やっぱりすごく好きだなあ。
「早く帰ってきて下さいね」
 遠慮がちにそう言ったルカはとても可愛くて、明日はみんな上手くいくような気がした。