五日間

#メイコさんがいないと食生活が雑になるルカさんの話。
#あなたがいない毎日は、とても長くて退屈です。
 

 
五日間
 
 月曜日、メイコさんが朝食にオムレツを作ってくれた。ベーコンと玉ねぎが入ったふわふわ卵のオムレツは、低血圧で機嫌の悪い朝の私を確実に幸せな気分にしてくれる。そのことをメイコさんはよく知っている。
「帰りは金曜日でしたっけ」
「んー、土曜日かな」
 食卓で向かい合うメイコさんは、私の問いにオムレツをつつきながら返事をした。
「金曜は遅くなるから、たぶん土曜日」
 メイコさんの今日から週末にかけてのスケジュールは、ずっと出張で埋まっている。
 ふわふわ卵のオムレツは特別な朝食メニューだ。年に数えるほどしかない何かの記念日や、つまらない喧嘩をして私がふて寝をした翌朝や、これから五日間も会えなくなる前の今朝に、メイコさんがわざわざ作ってくれるような。
 そう思うと少し寂しいけれど、私たちはもういい大人だし、お互いに仕事もあるし、たった五日間を待てないわけでもない。
 私はいつも通りに朝食の洗い物をして、洗濯物をベランダに干して、いつも通りではないスーツケースを携えたメイコさんを玄関で見送って、いつもは二人で歩く駅前の通りを一人で歩いて仕事に行った。
 
 火曜日、メイコさんのいない朝は静かだ。
 お湯を落とすコーヒーメーカーや、テレビから流れるニュースや、卵を焼くフライパン。メイコさんがいればあるはずのそれらの音が一切なくて、週末までずっとこうなのかと思うとやっぱり寂しい。
 ハチミツとミルクをたっぷり入れたドリップコーヒーが朝食だと言ったら、きっと叱られるだろうから、私はそのことには触れずにおはようございますとだけ、スマートフォンからメイコさんにメッセージを送った。
 返事を待つあいだの一人の食卓は手持ち無沙汰で、マグカップを洗うついでにシンクとガステーブルをピカピカに磨いた。夜はお風呂場の掃除をしようと思う。
 
 水曜日、お昼休みに休憩室でトマトジュースを飲んでいた私を見て、開口一番にリンちゃんが言った。
「フセッセーだね」
 手にはおにぎりやお菓子が詰まったコンビニのレジ袋を持っている。
「不摂生?」
 聞き返す私の向かいに座って、これあげる、とリンちゃんがコンビニ袋から出したのは、どうぶつの形のビスケット。
「ご飯はちゃんと食べないとだめだよ」
 目の前に置かれた、カラフルな動物たちが描かれたえんじ色の箱に苦笑する。
「これはご飯じゃないと思うけれど」
「食べないよりいいでしょ」
「昨日のお昼は食べたわ」
「そっから何も食べてないならやっぱりフセッセーじゃん」
 私のささやかな抗議はあっけなく論破されて、リンちゃんは呆れ笑いでツナマヨのおにぎりをかじっている。
 昨夜はお風呂掃除に夢中になりすぎてタイミングを逃してしまったし、朝はもともと食べなくても気にならない。言われてみれば、と私はビスケットの箱を開けた。これも不摂生の一部の気がしなくもないけれど。
「めー姉には内緒にしておいてあげるね」
 得意げに言ったリンちゃんは、そのあとおにぎりをもう二つ食べた上にチョコレートも食べていた。
 どうぶつのビスケットは意外とたくさん入っていて、手伝ってもらおうと思ったリンちゃんはもうお腹いっぱいで、持って帰ってはみたものの一人では昼間よりさらに減らない。早くメイコさんが帰ってこないかな。
 
 木曜日、寝る前にスマートフォンに届いたメイコさんからのメッセージは、ちゃんとごはんたべた?
 リンちゃんに聞くまでもなく私の不摂生なんてお見通しだ。食べました、の一言ではごまかせなくて、何を食べたの? 美味しかった? 間髪を入れずに追撃が来た。
 どうぶつの形のビスケットです。おいしかったです。
 正直に送ったらそれはご飯じゃないでしょと突っ込まれたので、食べないよりはいいかと思ってと返信した。何だかデジャブを感じる。
 少ししてどういうわけか魚市場の写真が送られてきた。発泡スチロールにたくさんの氷と一緒に、無造作に毛ガニやズワイガニが詰められている様子が豪快だ。
 宿泊地から近いのだろうか。おみやげに買って帰るね、とメッセージをくれたメイコさんはどうやらご機嫌だ。もうこのカニたちのどれかを平らげたのかも知れない。
 カニ鍋をつつきながら熱燗を煽って嬉しそうなメイコさんが思い描かれて、明日はちょっと良いお酒を買いに行こうと思った。

 金曜日、午後の休憩の時間にコーヒーを買いに行った。
 事務所で留守番をしているミクちゃんにタピオカミルクティーを買って帰ろうと思っていたのに、ブラックコーヒーを頼んでしまっていたことに気がついたのは、事務所に戻って袋を開けてからだ。仕方がないのでコーヒーは私がもらって、ミクちゃんには私のカプチーノを飲んでもらうことにする。
「めーちゃんのと間違えたでしょ」
 ミクちゃんがずばり指摘した。カプチーノとブラックコーヒーは、メイコさんと一緒のときのオーダーだ。
「ごめんなさい。うっかりしてたわ」
 注文したとき、と言うよりコーヒーショップの行き帰りもずっと、たぶんメイコさんのことを考えていて、無意識とは恐ろしいものだと思う。
「大丈夫。カプチーノも好きだし」
 ミクちゃんは笑って言いながら、カプチーノにスティックシュガーを入れてかき混ぜている。
「今日帰ってくるんだっけ、めーちゃん」
「明日って言ってたわ」
「ふーん。じゃあさ」
 甘くなったカプチーノを一口飲んでから、夜ご飯に行こうとミクちゃんは言った。
「リンちゃんと約束してるんだけど、ルカちゃんも一緒に行こうよ」
 きっと気を使ってくれたのだろう。今日の私は自分で思っているより色んなことが上の空だ。
「ありがとう。でも今日は酒屋さんに行くから」
 昨日の夜から予定していたそれを伝えて、また誘ってねと付け加える。ミクちゃんは気を悪くした様子もなく、にこにこしながらもちろんと答えてくれた。
「また今度、めーちゃんがいるときにね」
 メイコさんも一緒にみんなで食べるご飯は楽しいだろうなと思う。メイコさんは明日帰ってくる。早く会いたい。
 
 そうしてその日の夜、することがなくて洋画を観ていたら突然インターホンが鳴った。
 時計はもう日付が変わっていて、訪問者にしてはずいぶんと非常識な時間だけれど、週末で羽目を外した酔っ払いが家を間違えたのかも知れない。そんなことを思いながらソファを立って、リビングでモニターを確認して、映っていた人に驚いて私は急いで玄関を開けに行った。
「ごめんごめん、スーツケースに鍵しまっちゃって」
 扉の向こうに立っていた、ひと抱えほどの発泡スチロールを持って帰ってきたメイコさんは、この上なく上機嫌な顔だ。
「土曜日に帰ってくるって…」
「うん、だから」
 すっかり驚いてしまった私はおかえりなさいも出てこないのに、その様子にさえメイコさんは嬉しそうな顔をする。
「もう土曜日になったでしょう?」
 スーツケースと発泡スチロールとを忙しなく玄関に引き入れてメイコさんはいたずらに笑った。
 そうしてブーツを脱ぎながら、早くルカに会いたかったから、なんて言われてはもう敵わない。土曜日の朝に移動するのだとばかり思っていたから、こんな不意討ちは反則だ。
 頬が緩んだ拍子に涙腺まで緩んで、私はそれをごまかすようにスリッパに履き替えたばかりのメイコさんに抱きついた。
「おかえりなさい」
 ようやく言えた、五日ぶんのおかえりなさい。あなたがいない毎日は、とても長くて退屈でした。
「ただいま」
 メイコさんが私を抱き締め返す。私がいなくて寂しいと、あなたは思ってくれましたか?
 目いっぱいぎゅうと私を抱き締めたあと、メイコさんはただいまのキスをしてくれた。私たちの日常はそれで元通り。
「お酒、買ってありますよ」
「じゃあ明日はカニ味噌が食べられるね」
 メイコさんが嬉しそうに言った。
 次の日はメイコさんに、お土産の毛ガニでとも和えを作ってもらって、燗酒にしたお酒と一緒にいただいた。元通りになった日常の、メイコさんの料理はとても美味しい。