#けれどそうでなければ、誰にも出会えないし、何にも気付かない。
#ヒルトンのPAから。個人的にはこのパターンがいちばん好きです。
漣の丘で
どうして、嘘をついたんですの?
何でかな…。ちょっと、悔しかったから…。
そう。本音を言いますと、私も少し…ね。
ラクールホープの積荷作業には、思っていたより時間がかかるようだ。レナは見学しに行くと言って港へ向かったが、付き合う気にはなれず、セリーヌは出港までの時間を持て余し気味に街を歩いていた。
まあ、幸せそうだったことは認めますわ。
心の中で呟くと、そんなつもりはなかったのに、何だか負け惜しみのようで気が滅入った。
昔馴染みのアルマナに会ったのはつい先ほど、レナと買い物をしていた時のことだ。
5年ぶり。いつの間にそんなに経ったのだろう。そのこと自体にもため息が漏れた。このところ気がつけば季節が変わっているし、年が明けて暮れている。
あなたももういい年なんですから。
最近顔を合わせるたびに言うようになった母を思い出した。言いたいことが解らないほど子供ではないけれど、こう見えても結婚を申し込んでくれる人が居なかったわけではないし、そう言う選択をしなかったのは自分の意志だ。
けれど。
悔しかったから、自分のことのようにレナが言った。私も少し、とセリーヌは返した。レナが言ったそれと、自分が思ったそれとが違うのはわかっていた。
何気なく歩いていると、街外れの高台に出た。耳に届くさざ波の音は微弱だが、積荷の最中であるらしい軍船はここからでも充分物々しい。
アルマナは客船に乗るのだと言っていた。軍船よりも向こうの桟橋に見える、あれがそうだろうか。
セリーヌは高台を囲う手すりに頬杖をついて、帆を広げた客船を何げなく眺めた。少し余計なことを考えすぎたかも知れない。せっかく懐かしい友人に会えたのに、釈然としない気分になってしまった。
「何だ、レナと買い物をしていたんじゃないのか」
不意に掛けられた声にセリーヌは振り返る。ディアスだった。
「レナだったら、ラクールホープを見に行きましたわよ」
明るく装って、軍船を目で指す。作り笑いがぎこちなかったことは、多分気づかれなかったと思う。
「そうか」
それだけ言ってディアスはセリーヌの隣に立った。潮風のせいですっかり錆びてしまった手すりに背を預けて、いつも通りの仏頂面で腕を組む。
セリーヌは頬杖の姿勢に戻って海原へ目をやった。はっきり言ってしまえば、この男はあまり好きではない。
付き合いにくいんですのよね。何を考えているのかよく分かりませんし。
無口で無愛想で、会話が続いたためしがない。それなのに初めて会った時は、傲慢だの失礼だのと遠慮会釈無く言って来た。
何か話した方がいいかしら。
適当な理由をつけて別の場所へ行こうかとも考えたけれど、ディアスが来た途端に立ち去ったのではさすがに不自然だ。何か合いそうな話題はないかと思案する。けれど結局、ほんの数秒でそれも面倒になって、困ったものだとため息をついた。
「何かあったのか」
「どうして?」
「いや、何となくな」
本当に何となく言ったらしい、気のない問いに驚いた。そんなに態度に出ていただろうか。
「何でもありませんわ」
小さくかぶりを振ってセリーヌは微かに笑う。思い出にひたってただけ、とおどけた調子で付け足した。
「さっき久しぶりに友人に会ったんですの。結婚して、随分変わっちゃってましたわ」
「そうか」
ディアスが短く言った。この男には何を言っても、その程度の返事しか返ってこないと思っていたから、セリーヌは少し油断していた。
「嫌だったか」
と、そんな風に訊かれるなんて。しかも尋ねたと言うよりは、一人で納得して呟いているような語調だ。
「まさか」
大げさにセリーヌは肩をすくめた。
「別に嫌じゃありませんわよ。ただ、少し寂しいなって」
そう。それだけのことだ。大したことじゃない。
けれど隣を仰ぐと鼻で笑われた。失礼な男。おまけに変に鋭くて、だから好きではない。
逢いたかったはずの昔馴染みだ。よく考えたら、おめでとう、と言わなければいけなかった。普段なら当たり前にできるはずのことが、時々できなくなることが、嫌だったかと言われればその通りだ。
やっぱり気が滅入る。先ほどより盛大にセリーヌはため息をつく。
ディアスはそれを気にするでもなく海を眺めていたが、やがて何気なく、ぽつりと言った。
「時々疲れるんだろうな」
大人でいることに、と。
「みんなそうですわよ、きっと」
気がつけば季節が変わっているし、年が明けて暮れている。いくつもの物事が移り変わって行くことには抗えない。勿論、自分もそうでなければいけない。色んなことに順応して、うまく折り合いをつけて生きていくことに、時々ひどく疲れることがある。
隣に立つ無愛想で失礼な男も、同じように思うのだろうか。横目にそれを窺うと目が合ってしまった。
「お前には予定はないのか」
「唐突に話が戻りますわね」
人が真面目に感慨に耽っているのに、突然何を言い出すのかと、セリーヌは苦笑する。否定するのも肯定するのも面白くないので、勿体ぶるように間を置いて、からかい半分に言ってみた。
「考えてもいいですわよ。ディアスだったら」
「そうか」
いつになく穏やかな口調で、ディアスは可笑しそうに笑った。
「前向きに考えてもらえると有り難い」
その反応があまりに予想外だったので、セリーヌは不覚にも面食らってしまった。いつも仏頂面をしているところしか見ていなかったし、そんな人なのだろうと、それ以上に考えたことはなかったけれど。
「知りませんでしたわ。ディアスって、ちゃんと笑ったり、冗談を言ったりできる人なんですのね」
そう言ったのとほぼ同時に、港で汽笛の音がした。アルマナが乗っているであろう客船が、いよいよ出港するようだ。
セリーヌは港に目を戻す。そんなこともある、とディアスが言った。
「その方が素敵ですわよ」
何気なく見上げた空が、思いがけず高かった。また季節が変わろうとしている。
変わっていく季節を過ごし、明けて暮れて行く年を重ね、いくつもの物事が移り変わって行く。けれどそうでなければ、誰にも出会えないし、何にも気付かない。
無口で無愛想で付き合いにくい男に出会って、意外とそうではなかったことに気付くのにだって、随分と時間がかかった。
客船が少しずつ、桟橋から離れて行く。次に会うまでに、何度くらい季節が変わっているのだろう。
次はいつ会えるか分からないけれど、その時には、おめでとうと、きっと言おう。