#俺は寝ている女を襲うほど無作法じゃない。
#珍しくディアスのペースで進む…ように見えてセリーヌが案外楽しそうな話。
鑑定料
しまった、と思ったのだけれど、遅かった。
調べものを片付けようと、宿に借りた自室で本を読んでいたはずなのに、一体いつの間にうたた寝してしまったのだろう。
声を掛けられて、ゆすり起こされて、目に付いたのが長剣を携えた大男だったものだから、とっさに体が動いてしまったのだ。
「物騒なものを持っているんだな」
胸倉をつかまれて、懐剣を喉元に突きつけられたまま、嫌味なくらいの呆れ笑いで男は言った。
よく見知った長身の男だった。
「脅かさないでくださいな」
意外な相手に、大きくため息をついて、セリーヌは懐剣を鞘に収める。
「鍵が開いていたぞ。何度かノックをしたんだが」
無用心だな。ディアスは少しも動じていない様子で、そう言って襟元を正した。
まったく、悪趣味ですこと。セリーヌは心の中で毒づく。
無防備にうたた寝をしていた自分も悪いが、この男、まるで気配を感じさせなかったのだ。気がついたら目の前に、手練と見える男がいたのだから、これが仲間でなかったら洒落にならない。
「まったく、悪趣味ですこと」
今度は声に出して言ってやった。先ほどまで寝そべっていたソファに座りなおし、手櫛で髪を整えながら。
「そう邪険にするな。相手が俺でよかったろう」
ディアスは苦笑してセリーヌの隣に腰を下ろす。
確かに通りすがりの宿泊客を相手にこんなことになったら大騒ぎだが、あなたでなければ気配で分かりましたわ、と、よほど言い返してやろうかと思った。
けれど無駄に口論を続けるのも面倒だ。
「何かご用?」
素っ気なくセリーヌは訊ねる。
「お前、目利きができるだろう」
ディアスは上着の隠しから上等な皮袋に入った何かを取り出し、セリーヌに差し出した。
「物によりますわよ」
受け取ってセリーヌは言う。骨董品や宝石なら慣れているが、機能性重視の武器防具や薬草なんかは専門外である。
皮袋の中身はそれなりに重く、細身で硬質だ。短剣の類か、笛のような楽器、形の整った鉱石かも知れない、と当たりをつける。
「物騒な懐剣の口止め料に見てくれないか」
さらりと、しかもにやりと笑ってディアスが言うものだから。
「良い性格してますわね」
セリーヌは忌々しそうにディアスを睨みつけた。
皮袋の紐を解くと、金色の短剣の柄が覗けた。翼を持った豹の彫刻が施されている。
「レスティア・アディンですわね、これ」
一目見て、彫刻の特徴からセリーヌが呟く。
「誰だそれは」
「エル王家お抱えの細工師ですわ。200年くらい前かしら。知りません?」
問いかけるセリーヌに、歴史は詳しくない、とディアスは仏頂面で答える。
「刀匠としてもわりと有名だったと思うんですけど」
とは言ったものの、放浪剣士のディアスと、トレジャーハンターの自分とでは、剣を選ぶ基準が違って当然だろう。細工師の略歴や代表的な作品は知識として持っていたが、セリーヌはそれ以上何も語らなかった。
翼豹の瞳は金に映える紅玉で、細工師の作品に相応しい綺麗な短剣だ。
セリーヌは刀身を鞘から抜き、真面目な顔つきで検分し始める。
手持ち無沙汰になったディアスは、先ほどセリーヌが枕がわりにしていた分厚い本を手に取った。
古代文明の図鑑だった。古代の儀式に用いられた聖杯や宝剣などの神器が、1ページごとに詳細に水彩画で描かれている。画集と言っても良いような高価そうな本だ。
「こう言う本が好きなのか?」
何気なく問いかけたが、セリーヌはスペクタクルズ越しに、彫刻に傷がないか念入りに調べている最中で、曖昧な答えしか返ってこなかった。
おおかたトレジャーハントの材料でも探しているのだろう。そんなことを考えながら、鑑定が終わるまで、ディアスは図鑑を眺めながら待つ。
ややあって、セリーヌがスペクタクルズをテーブルに置いて、息をついた。
「これは晩年の、宮仕えを辞めたあとの作品ですわね」
短剣を鞘に収めながら言う。
「この頃に作られたものは結構出回ってますから、美術品としてはそこそこの価値だと思いますけど」
そこで一度区切って、短剣に皮袋を添えた形でディアスに返した。
「武器としてなら良い値段がつくんじゃないかしら」
そう加えて。
受け取った短剣を抜くと、ディアスは皮袋を軽く放り投げ、何気なく斬りつけた。
なるほど、刀匠としてもわりと有名、と言うだけのことはある。
「大したものだな」
もともと貰い物だった上に、装いも自分好みではなかったから、価値もろくに確かめず放っていたのだ。
「宝の持ち腐れになるところだった。ありがとう」
めずらしく素直にお礼の言葉が言えたのは、これも仕事のうちですから、と何でもない風に言うセリーヌを、少し見直したからだ。
トレジャーハンターなどと言う商売は、実のところ半信半疑だったのだが、伊達でやっているわけではないのだな、と。
不意に、セリーヌが手を差し伸べた。
「……何だ」
その笑顔に裏がありそうで、ディアスはいぶかしげに訊ねる。
「ありがとうと言ったからには、お礼はするものですわよ」
にっこりと笑って言うセリーヌに、ディアスは嘆息をついた。がめつい女だ。そう思いながら。
「口止め料だろう」
「あら、私は知られても構いませんわ。ディアスが私の寝込みを襲おうとしたって」
と、満面の笑顔で、少しも悪びれずに言うセリーヌ。
「言っておくが」
差し出された手を取って、ディアスはセリーヌを引き寄せた。
「俺は寝ている女を襲うほど無作法じゃない」
そのまま抱きしめて、淡い薔薇色のルージュを引いた唇に口付ける。
しばらく、部屋の隅のオーク時計が秒を刻む音だけが部屋に響いて、長いキスに、セリーヌは抵抗しなかったけれど。
「起きてる女ならいいんですの?」
唇が離れると、呆れたように言った。
「鑑定料より高いですわよ、今の」
肩をすくめてディアスの眉間を指先ではじく。
「良い値段がつくんだろう? 取っておけ」
ディアスは立ち上がって、短剣をセリーヌに放るとそのまま部屋を出て行く。
「お前の懐剣よりよく斬れるんじゃないか」
ドアが閉まる音より一瞬早く、ディアスのからかい口調の声がセリーヌに届いた。
「まったく、悪趣味ですこと」
と、愉快そうに笑って、短剣の翼豹に向かってセリーヌは呟いた。