煉瓦の街

#彼女の前では嘘もつけない。
#セリーヌさんの前では、ディアスは色んな意味で気が気でないのです。
 

 
 
 煉瓦の街
 
 貝刺しや冷奴を肴に米麹造りの酒を飲んでいる姿が、彼女には似合わない。と彼は思う。
 藍地に白抜き文字の暖簾を掲げた居酒屋、どぶろく54は盛況の時間帯だ。飲み屋をはしごしてやって来る酔っ払いの男たちは、ディアスの向かいで旨そうに日本酒を舐めているセリーヌを揃って振り返って行く。その度に男連中を睨み付けるディアスを見ては、セリーヌが可笑しそうに笑うのだ。
「そろそろ出るぞ」
 酒瓶が空になった頃合で、ディアス呟きながら立ち上がった。合わせるセリーヌも席を立つ。歩き出したディアスの手から支払いの伝票を預かって、おごりますわ、と片目を瞑った。
「俺も出すぞ?」
「いいですわよ。私が誘ったんですもの」
 財布を出そうとするディアスをそう言って押し止めると、セリーヌは手際良く会計を済ませて外に出て行ってしまった。
「もう少しだけ付き合って下さいませんこと?」
「どこに行くんだ」
「お散歩」
 そう言ってディアスに並ぶと、改めてセリーヌは歩き出す。酒場は賑わっていたが外に出ると静かだ。煉瓦を敷き詰めた街の通りに二人分の靴音が響いた。
 上機嫌には見えるが、珍しくセリーヌは話し掛けて来ない。普段なら無口なディアスの分も何くれと話題を持ちかけて来るのに。
「どうして俺を誘った?」
 しばらく黙って歩いて、ふとディアスが問い掛けた。セリーヌはきょとんとした顔でディアスを見上げる。
「どうしてと言われましても、チサトは仕事が忙しそうだったし、オペラはプリシスにつかまっていたから」
 言いながら、無人くんの改造を手伝わされて困惑気味だったオペラの様子に思い出し笑いを浮かべる。それから不意に、それにと前置きして呟いた。
「あなたと一緒にいたかったんですの」
 そう言われるとディアスは何も返せなくなる。仏頂面のまま黙っているディアスを仰いで、セリーヌがいたずらに笑った。
「そう言って欲しかった?」
 酒に酔っている分だけいつもより悪戯心が冴えているのだろう。すっかり遊ばれていることは分かっているから、別にと気のない返事をする他に、やっぱりディアスには何を言っていいか分からない。
「それも本当ですけど」
 セリーヌは愉快そうにそう言った。
 やっぱり機嫌が良さそうだな。
 セリーヌが楽しそうだから、悪い気はしない。横目に隣を覗いながらそんなことを考える。
 夜風に木の葉が音を立てて揺れた。煉瓦の街並みは、風も音も悪くない。隣を歩く彼女は何も言わないけれど機嫌が良くて、もう少しくらいなら、このまま歩いていたいと思う。
「ここってクロスの城下町に似ていますわよね」
 唐突にセリーヌが呟いた。街路に伸びた影を目で追っていたディアスは、言われて目線を辺りに向ける。こう言う煉瓦の道って好きですわ。セリーヌはそう加えた。
「そうか」
 規則的に煉瓦にぶつかる靴音は、クロスでもそうだったのだろうか。聴いたことが無いから分からない。今も多分、彼女が隣にいなければ気にもしなかった。
「お前には好きなものがたくさんあるな」
「だって嫌いなものがたくさんあるより、ずっと楽しいじゃありませんの」
 セリーヌはすかさずそう答える。
「物だけじゃなくて、好きな人や好きな場所も、多ければ多いほど。そうでしょう?」
 当り前の事なのかも知れない。聞き流してしまえばそれまでなくらい。だけどそれを分かっていることは、きっと当たり前ではない。
「お前はすごいな」
 小さく呟いた声を、風は葉擦れの音で掻き消してくれた。セリーヌが足を止めて聞き返す。
 聞こえないように言ったのだから、聞き返されても当然だけれど、もう一度言うのは悔しいから。
「俺には分からんと言ったんだ」
 不機嫌そうにディアスは答える。相変わらずの仏頂面に、セリーヌはくすくすと笑い出す。
 多分セリーヌには分かったのだ。今のが嘘だったことが。
 彼女の前では嘘もつけない。
「さっさと歩け」
 強引にセリーヌの手を引いて、ディアスは少し大股に歩いてやった。煉瓦を鳴らすセリーヌの靴音がさっきよりも早くなったのは明らかだ。
 何の不平も言ってくれないところが、また見透かされているようで決まりが悪い。
 観念して歩調を戻すと、セリーヌが嬉しそうに笑ったのが横目に見えた。