貴方に会えて

#女の秘密に軽々しく触れるものじゃありませんわ。
#1回目フィーナル侵攻後、敗戦直後の会話。
 

 
 
 貴方に会えて
 
 夜になっても暗くならない街だ。セントラルシティのホテルに借りた一室で、セリーヌは大きくため息をついた。
 故郷の村の、魂まで吸い取られそうな深い夜闇を、時々懐かしく思うことがある。
 けれどエクスペルは消滅したと言われた。
 あの暗く深い夜はもう訪れないのだと理解した。
 ベッドサイドに腰かけて、両手を上に突き出す。ぐうっと伸びをして、そのまま後ろに倒れ込む。それだけでどっと疲れた気がしてため息が漏れた。天井のライトが妙に眩しい。
 なんて格好をしているの、はしたない。こんな姿を見せたら、母はそう言って怒るだろう。だからあなたはと小言が続いて、貰い手がなくなりますよで締めくくる。そんな日がいつかまた、本当に戻ってくるのだろうか。
 こういう時は往々にして、物事は良い方向には転ばない。戻ると言われたけれど、その方法も教えられたけれど、セリーヌはそれをまるきり信じているわけではない。
 だから貰い手がなくなるなんて言われるのかしらね。仰向けになったまま、素直さに欠けるのかも知れないと思って、セリーヌは自嘲気味に嘆息をつく。
 不意にドアの呼鈴の音がした。わざわざ返事をして出迎える気は起きなかったけれど、こんなにタイミングを見計らったように尋ねてくるのは一人しかいない。うまく思考が働かないなりにもそんなことを考えて、扉へ向かう。
「どうぞ」
 ドアノブを引きながら独り言のように言うと、半分だけ空いたドアからディアスが顔を覗かせた。
「どうかなさいまして?」
 ごく当たり前のことのように、穏やかな口調でセリーヌが問いかける。答えは初めから期待していない。こういう時のディアスはいつだって、言いようのない寂しさと、不安と焦燥感を心の底に抱いていて、それは側にいてあげること以外にどうすることもできないものだとセリーヌは知っていた。
 ディアスは何も言わないまま、先ほどまでセリーヌが寝転がっていたベッドにゆっくりと、沈み込むように深く腰かけた。
 隣に座って、並ぶと頭一つ分背の高いディアスをセリーヌは様子を窺うように上目に見る。目が合うとディアスはやれやれと言った調子で曖昧に笑った。
「どうしたものかな」
 ぼそりとディアスが言う。うまくいかないな、と。
 エクスぺルは消滅したのだ。そうして元に戻すための方法は、どうやらとても難しい。
 そのことに気づくまでにいくつかの失敗をして、相応の犠牲を払って、だからディアスも、他の誰も彼も、もちろんセリーヌも今は途方に暮れていた。
「何かありませんの? 起死回生の必殺技とか」
 つとめて明るくセリーヌは言う。その言葉はそのまま自分に返ってくるものだと分かっていたけれど、冗談めかすほかないのだ。
「そうだな。考えるか」
 きっとディアスも同じように思っているのだろう。先ほどセリーヌがそうしたように、無造作に背中からベッドに倒れ込んだ。
「お前は何かあるか?」
 予想どおり跳ね返ってきた問いへの、答えを探してセリーヌは思案する。
「考えますわ、私も」
 まったく、世界を救うなどと、似合わないことをするものではない。出ない勝ち目を出すなんて見当もつかない。けれどここで立ち止まれば先へ進むことが億劫になる。
「やらないわけには行きませんものね」
 セリーヌが言うと、ディアスが満足そうに笑みを浮かべた。
「一緒に考えるか」
 はじめからそれを言いに来たのだろう。そのことが意外で、けれど嬉しかった。
 こういうところを見ると、出会ったころに比べてディアスは少し変わったように思う。
 誰かが側にいないと壊れてしまいそうな人だった。いつだって言いようのない寂しさと、不安と焦燥感を心の底に抱いていて、それを隠すように不機嫌に人嫌いを装う彼に気づいてあげられるのは、もしかしたら自分だけなのかも知れないと、そんな自惚れに近いことを思ったりもした。
 そうして側にいるうちに、いつの間にか気づかれてしまったのだろう。
「一人で泣くなよ」
 その言葉にぎくりとして、それでもどこかで安堵する。
 隠しているものがよく似ているのだ。だからきっと彼には隠せない。
「ありがとう」
 誰にも見えないように慎重に隠していた、言いようのない寂しさと、不安と焦燥感が、一筋の涙になってセリーヌの頬を伝う。けれどディアスはそのことに、あえて気づかない振りをする。
 だからセリーヌはいつもどおりに、何でもなかったように笑うのだ。
 頬に残った涙の後を指で拭って、でも、とセリーヌは言った。
「女の秘密に軽々しく触れるものじゃありませんわ」
 毅然と、優雅に言い放つ。
 ディアスが愉快そうに微笑した。
「たまには頼ってくれてもいいんだがな」
 セリーヌが今までに聞いた中ではいちばん自信たっぷりに、けれど小さく、聞こえないくらいにディアスは言った。
 いつも下手すぎるほど口下手な男が、そんな風に言ってくれることが嬉しかった。
 この人が側にいてくれたら、明日も笑っていられると、そう思えた。