#締切りは明日なのよ! 今日やらなかったら間に合わないじゃない!
#8人パーティのラブコメ風ショートショート。
DayOff and WorkDay
ネーデ新聞上半期増刊号に上げる原稿の締切りが近いらしく、チサトは部屋にこもりがちだ。編集部からの催促が一日五回は携帯電話を鳴らす。
ちゃんと書いてますよ、締切りまでには仕上げますから。
と何度も答えながら、たまりにたまったネタ帳を記事にまとめるべくチサトは奮闘中であった。今やネーデ中の注目の的となっている『光の勇者一行』をチサト一人で取材しているのだから、その量は半端ではない。
「クロードく~ん、起きてる~?」
部屋のドアを叩きながら、昼近いと言うのになかなか起きてこないクロードを呼ぶ。
「はい…なんですかぁ?」
寝癖でぼさぼさの髪を撫で付けて、ようやくクロードが扉を開けた。まだ若干寝惚けた声だ。
「お仕事手伝って欲しいんだけどな」
「またですか!? もう勘弁して下さいよー。明日でもいいじゃないですか」
このところ毎日明け方まで手伝っているため、クロード、少々寝不足気味である。
「締切りは明日なのよ! 今日やらなかったら間に合わないじゃない! もうオペラはとっくに始めてるんだから早く!」
不幸にもチサトと同室になってしまったオペラまで駆り出されているのだ。有無を言わさぬチサトの語調に、クロードは観念して髪を掻き上げた。
「すぐに着替えますから、先に行ってて下さい」
「すぐよすぐ! 頼んだからね!」
そう言い残してチサトは部屋へ戻って行った。クロードもしぶしぶ着替え始める。
こうして一行の旅は、締切りに追われるチサトと、そのアシスタントであるクロードとオペラの肉体疲労を考慮した結果、ここアームロックで停滞気味。
「アシュトンはいいよな。うまい物でも食べてるんだろうな」
独り言を洩らしながら、昨日の朝までアシュトンが寝ていたベッドに目を落とす。
今頃彼は、レナが福引で当てた『二泊三日ファンシティ豪遊の旅ペアご招待』を満喫していることだろう。当然レナも行ってしまったため、今クロードの疲労を癒してくれるのは、セリーヌが調合した原材料は企業秘密の怪しげな栄養ドリンクのみだ。それを一気に飲み干す。
「よし、頑張ろう!」
自分に言い聞かせるように声にして、クロードは仕事へ向かった。
ファンシティ豪遊の旅参加メンバー決定ジャンケン大会に敗れ留守番となったレオン。暇を持て余して街を散歩していた。
昨日はミラージュ博士に機械技術をあれこれ教えてもらっていたのだが、今日は学会へ参加するため彼女は留守だ。
ごめんね。今日も仕事があるから一緒に遊んであげられないのよ。
今朝一番にチサトにはそう言われていた。
僕じゃ手伝えないのかな、とレオンは思う。新聞記者の仕事が出来なくても…そうだ。
いいことを思いついたと、ぱっと表情が明るくなる。でも、どうしよう。一人じゃどうしていいか分からない。レナもアシュトンもいないし、もちろんチサトもダメだ。他にアテがあるとすれば。
セリーヌお姉ちゃんなら、いるかな。
多分、木陰で本を読んでいる。天気の良い日は大抵そうだ。武器屋の脇の通りを抜けて、レオンは小さな公園へ向かった。
思った通り、セリーヌは公園の隅の長椅子で薬草学の本を読んでいた。新たな栄養剤の開発に取り組んでいるらしい。
セリーヌの座っている長椅子は、レオンに背を向ける格好で造りつけられていた。声を掛けようか少し迷ったけれど、レオンが呼ぶよりも早く、セリーヌは笑って振り向いてくれる。
「レオン、どうかしまして?」
「セリーヌお姉ちゃん」
レオンはかけ寄って椅子の背に両肘をつくと、セリーヌの手元の本を覗き込んだ。
「お日さまの下で本読んでると、目がチカチカになっちゃうよ」
元々は脇にある大木の陰が差して丁度良かったのだろう。今は陽の位置が変わって、直に陽光が照りつけている。
「私もそう思うんですけど」
と、本を閉じてセリーヌは苦笑した。
「どいてくれないんですのよ」
「ふーん」
レオンは頬杖をついて唇を尖らせる。自分とは反対側のセリーヌの隣、声を掛けられなかった原因に目をやった。
ディアスがセリーヌに寄り掛かって寝息を立てているのだ。
ディアス兄ちゃんはいっつもセリーヌお姉ちゃんのところにいるからなぁ。
しかも毎度昼寝の最中だ。昼寝なんて三つの時に卒業したレオンは、毎日毎日よくそんなに眠れるものだと思っている。
「ところで、私に何かご用?」
「あ、うん。ちょっと教えて欲しいことがあって。いいかな」
レオンがそこまで言うと、セリーヌは勿論と答えてディアスを揺すり起こしに掛かった。
「ディアス、起きて下さいな」
「…うるさい。何だ」
寝ぼけ半分のディアスはまず目に付いたレオンを睨み付ける。思わずレオンは後退りしてしまった。
「ちょっと、レオンは悪くないでしょう」
「…じゃあ何だ」
「私レオンと出かけますから、これ預かってて下さいな」
分厚い薬草図鑑をセリーヌから受け取ると、ディアスは益々不機嫌な顔になる。
「あ、あのさ」
本当は寝起きだから機嫌が悪そうに見えるだけなのだが、レオンには区別がつかない。ディアスを怒らせたまま行くのも気が引けた。
「ディアス兄ちゃんも一緒に行こうよ」
「どこに行くんだ」
無愛想な声だが、行ってくれる気はあるらしい。
立ち上がったディアスに、食材屋さん、と答えて、それからレオンはセリーヌを見上げる。
「あのね、チサトお姉ちゃんたちに差し入れするんだ。でも僕、料理とか分かんないし、セリーヌお姉ちゃん一緒に作ってくれる?」
「大丈夫。ちゃんと教えてあげますから」
「うん、ありがとう!」
鬼のような速度でキーボードを叩き終え、オペラはデータの入ったディスクを手にクロードを振り返った。
「終わったわよ。チェック入れてちょうだい」
「あ、そこに置いといて下さい。すぐやります」
チサトはまず原稿用紙で草稿を起こすタイプらしい。よってオペラが入力担当、誤字脱字の確認と出力はクロード。チサトは書くだけで手一杯なので、文字数の過不足による修正はオペラとクロードが協力してやっているようだ。
「次はこっちお願い」
「オッケ」
チサトから原稿用紙の束を渡され、快く返事をしながらも、顔つきはげんなりとしているオペラ。両手を腰に当てて、座ったまま伸びをする。
「オペラさん、こう言うのも得意なんですね」
お茶を入れながらクロードが感心する様に言った。
「学生の頃はよくやってたからね。エルネストの論文手伝ったり」
原稿に目を通しながら、オペラは呟く。
「はぁ。考えてみれば、私ってエルを追いかけて旅をしてたのよね。こんなところで新聞記者のアシスタントをさせられるとは思わなかったわ」
ため息混じりの台詞に、同感だとばかりにクロードは陶器のカップを手渡した。
「きっといつかテトラジェネスに帰れますよ。それまで頑張りましょう」
「明日の締切りまで生きていられたらね」
「なんとかなりますって。セリーヌさんがもっと強力な栄養剤を作るって言ってましたし」
「それも怪しいと思わない?」
「でも、まずくはないですよね。そもそもこんなの気休めじゃないですか」
言いながらオペラの隣に座ると、クロードは話題の小瓶の蓋を開ける。
「こぉら、しゃべってないで手を動かす! この分じゃ今日も徹夜よ!」
同じく栄養ドリンクを手にチサトが檄を飛ばした瞬間、部屋中に電子音が鳴り響いた。
「またなの!? もうしつこいわね!」
ベッドの上に放ってあった携帯電話を掴んでチサトは部屋を出て行く。編集部からだろう。
「チサトさんよくこんなハードな仕事やってられますよね」
「確かに。ところで、私この記事はどうかと思うんだけど」
先ほど渡された下書きの一枚にオペラが呟いた。どれどれとクロードが覗き込む。
――流星を呼ぶ紋章術師 勇気の場を破壊――
「こ、これは…」
――エナジーネーデでも類を見ない抜群の魔力を誇る、惑星エクスペル出身のセリーヌ・ジュレスさん(23)は、勇気の場において得意の紋章術を披露しモンスターを撃破した。しかし異空間から呼び寄せたと言う流星は、余りある威力を持って勇気の場を支える石柱をも破壊。建物の一部が崩れ落ちると言う大惨事につながった。歴史的価値も高い勇気の場を大破したことについて、ジュレスさんは「あれは事故ですわよ。私のせいじゃありませんわ」と語ったが……――
「セリーヌさんこんなこと言ってましたっけ」
「チサトに怒られて謝ってなかった?」
二人の目線の先には、三日前セリーヌが山ほどくれた栄養ドリンク。
現在新たな栄養剤を開発中だそうだが、原材料は企業秘密と言うことで不明。
「…………」
「…………」
原材料は不明。
「えっと、直しちゃいましょうか」
「そうね」
福引キャンペーン中のやまとやは、若いママから熟年の奥様まで主婦の皆さんで賑わっていた。
「ねえレオン、中は何がいいかしら。ミカンと桃とありますわよ?」
「うーん、どっちかなぁ」
ミカンと桃の缶詰を手にレオンが首を傾げる。ここへ来る道すがら、チサトが好きだと言っていたフルーツサンドを作ることに決めた。手軽に作れるし、作業をしながらでも食べられる。
「両方?」
うなっているレオンにセリーヌが笑って尋ねると、レオンは元気よく返事をした。
「うん! あとイチゴも!」
嬉しそうに、ディアスが持っている買い物かごに缶詰を入れる。
「もういいのか?」
「まだだよ。イチゴも買うって言ったろ」
「そうか、早くしろ」
仲良く果物を物色するセリーヌとレオンを、後ろで荷物持ちをしながら待つディアス。もう目も覚めたろうに、相変わらず不機嫌そうである。
先ほど、公園でレオンに手を引かれ急かされていると、すれ違った老婦人に声を掛けられた。
――元気なお子さんねぇ。遊び相手も大変でしょう。
どう答えればいいと言うのだ。せめて弟とは言ってくれなかったものか。おまけにレオンがいたずら心を見せたのか「大変なのは僕の方だよ、パパは無愛想でさ」と言い、セリーヌはセリーヌで涙目になって笑いを噛み殺している。怒る気力も失せた。
どうせ親子に間違われるなら、もっと小さくて可愛げのある子供を連れて歩きたいとディアスは思う。手持ち無沙汰に辺りを見回す。レジで会計途中の女性の側にベビーカーが見えた。黄色いリボンの女の子が、身を乗り出すように座っている。
…女がいいな。セリーヌにそっくりがいい。
リボンの子と目が合った。不思議そうにこちらを見て、すぐに同じ顔を別の客に向ける。色々なものに興味を示す年頃なのだろう。やっぱり女の子がいい。セリーヌにそっくりな女の子。
「ディアス?」
セリーヌが怪訝そうにディアスを見上げる。いつの間にか買い物篭の中身が増えていた。
「ん? もう終わったか?」
我に返った様子のディアスに、せっかちだなぁとレオンが抗議する。
「次は牛乳だよ。あっちあっち」
そう言ってレオンは冷蔵品売り場へ向かう。後を追うディアスに並んでセリーヌが問い掛けた。
「ディアスは何かリクエストはあります? 野菜サンドとか、ツナサンドとか」
「俺か?」
そんな風に訊かれると、自分にも作ってくれるのかと期待しなくもない。
「鶏の照り焼きがいいな」
ごく真面目に答えたディアスに、それじゃあ、とセリーヌは呟く。
「クロードにはそれがいいですわね。食べ盛りですし」
ディアスの期待を知ってか知らずか、だがそう言う意味で訊いたらしい。
「そうか。そうだな」
気の無い返事をしながら、心の中で残念がるディアス。セリーヌは楽しそうにレオンと買い物を続けていた。
電話の向こうの編集長に、チサトは思わず叫んでしまった。
「三ページ追加!? 締切り延びないんですか!」
『発売日が決まっちゃってるからねぇ、印刷の関係もあるし、何とか頼むよ』
編集長直々に言われてはチサトも返す言葉が無い。
「分かりました。頑張ります…」
普段は元気な彼女もこの時ばかりは心底辛そうに言って電話を切ると、疲労困憊の息をつく。
「チサト、大丈夫ですの?」
外から戻って来たばかりのセリーヌが声を掛けた。小脇に抱えた薬草学の本がチサトの目に映る。
「セリーヌ! 栄養剤の強化はまだなの!?」
藁にも縋る思いと言った様子だ。実はオペラやクロードが寝ている間にも原稿を書いているので、チサトの不眠不休は今日で五日目に入る。
「え、ええ。今から作りますわ。それまではこの前ので頑張って下さいな」
「お願いね! 出来れば早く!」
何やら言葉を濁しているようなセリーヌに念を押すように言って、チサトは部屋へ戻った。
部屋の中では、やはり鬼のような速度でオペラがタイピングに励んでいる。次々と文字を映し出すモニターを眺めつつ、クロードがオペラの肩を叩いてあげていた。
「仲良しねぇ、お二人さん」
「後でチサトさんにもやってあげましょうか」
比較的作業の簡単なクロードは、お茶汲み、コピー取り、FAX送信、食事の準備、マッサージ等々も担当。その役回りに本人は疑問を抱いていないらしい。
「そうね、お願い。それと、あと三ページ追加になったから気合入れて頼むわね」
「え、締切りは…」
「明日の昼よ」
恐る恐る訊いたクロードにチサトは即答。オペラも思わず手を止めた。三人とも一端黙り込んで、ほぼ同時にため息をつく。
「とりあえず、やりましょう」
言いながらオペラが作業を再開した。
「よし、バリバリ書くわよ!」
栄養ドリンクを一気に二本空けて、チサトが気合を入れる。
「お昼はどうします? 出前取りますけど」
マッサージを終えたクロードは、デリバリーのチラシをめくりながら二人に尋ねた。
この小さな宿屋にはルームサービスも無く、かと言って食堂で料理を待つのも時間の無駄なので、クロードが付近の店をまわってメニューを調達してきたらしい。
「私カニ玉が食べたいなー」
「じゃあ中華ですね。オペラさん何が良いですか」
「五目焼きそばにしようかしら。あとビール出してくれる?」
「こんな昼間から飲むんですか?」
「お酒があった方がはかどるのよ」
「ほどほどにして下さいね」
冷蔵庫から缶ビールとグラスをオペラの元へ持って行くクロード。それから出前の電話をかけた。
「えー、カニ玉と半ライス、五目焼きそば、あと豚の角煮定食を大盛りで。あ、ハイ、大丈夫です。領収書はネーデ新聞社で。フロントに預けてもらえればいいので」
慣れた様子で手際よく注文を済ませて電話を切る。
「混んでるからちょっと時間かかるそうです」
「あそこ人気あるからねー。しょうがないわ」
「ここもルームサービスやってくれればいいのにね」
「あ、ここの食堂あんまりいいの出ないわよ? 修学旅行のご飯みたいなのばっか」
チサトの発言にクロードとオペラが「へえ」と洩らす。三人にとって修学旅行のご飯は共通語であるらしい。
「でも下の酒場はけっこういけるって話じゃない」
宿屋の階下で営業する酒場で知り合った男性が、タン塩に感激していたことを思い出すオペラ。
「やまとやの喫茶店もランチが美味しいって、レナとアシュトンが言ってましたよ」
何気無く言ってしまってから、クロードは何度目になるか分からないため息をつく。
「あの二人の話はしちゃダメよ。虚しくなるわ」
「お土産にワイン頼んであるから、終わったら打ち上げでもしましょう」
「そうですね。それまではセリーヌさんの栄養ドリンクで…」
それもそれで虚しくなりつつ、三人はまた同時にため息をついた。
その頃、ファンシティ。
「ちょっと混んでたけど、美味しかったね」
「うん。並んだ甲斐があったわ」
ネーデの一流レストランのランチコースにすっかり満足したレナとアシュトン。上機嫌に広場を歩いていた。
「次はどこに行く?」
パンフレットを開きながらレナがアシュトンに尋ねる。
「まだクッキングマスターに行ってないね。レナ出てみる? きっと勝てると思うな」
「そうかな? あ、でもこの時間だと次は夕方からになっちゃうわね。それまでどこかで時間つぶさないと」
「じゃあバーニィレースを見てこようか」
「そうね。そうしましょう」
足取りも軽く二人はレース会場へ向かった。
が、しかし。
アシュトンにとってはレースなど見ている場合ではなかった。
「ねえアシュトン! これかわい~! 欲しいな~」
バーニィレース会場の入口で、巨大なバーニィ人形を前にレナはすっかりはしゃいでいる。
「レ、レナ、いくらなんでもそれは持って帰れないと思うよ」
アシュトンと同じくらいの背丈の、横幅はアシュトン三人分の巨大バーニィである。
「そうよねえ。でも可愛いな~。こういうの欲しいな~」
観客席へ向かうでもなく、レナはずっとこの人形に釘付けだ。このまま放って置くとそのうち買うと言いかねない。早く別の場所に行った方がよさそうだ。
「レナ、バーニィはこのくらいにしてさ、お土産を見に行かないかい? 可愛いのもきっとたくさんあるよ」
アシュトンはどうにか上手いことを言ってレナを連れて行こうとするが、レナは名残惜しそうに背伸びして巨大バーニィの頭を撫でる。
「待って。もうちょっとだけ」
「ひやかしはよしてほしいんだにゃ~」
「きゃー! しゃべったー! やっぱり欲し~い! 連れて帰りた~い!」
「レナ…」
右手に薬草の束、左手に調理器具とフライパンを携え、セリーヌはレオンとディアスが使っている部屋の前に立った。
「そんな物を持って旅をしているのか?」
ドアを開けたディアスは、セリーヌの左手を見て呆れ顔で呟く。
「これはレナから預かった荷物ですわよ。何で私がこんなもの持って歩かなくちゃいけませんの」
「まあいい。入れ」
誰が持っていても問題はあるような気がしたが、とりあえずディアスはセリーヌを部屋に入れる。
レオンは電子コンロと流しの間に材料を揃え、その場で踏み台の上に立ってセリーヌを待っていた。
「セリーヌお姉ちゃん、何から始めればいいかな」
薬草類をテーブルに並べているセリーヌに問い掛ける。
「とりあえずカスタードクリームを先に作っちゃいましょうか」
「うん、分かった。これ使えるかなぁ」
レオンは部屋の備品のヤカンをセリーヌに見せた。鍋代わりに使うようだ。
「そうですわね。そんなに沢山は作りませんし、これで充分ですわ」
言いながらレオンに菜箸を渡す。
「まず卵の黄身と白身を分けるんですのよ」
「このコップでいいよね」
棚から出したティーカップで卵黄を溶く。それから牛乳を暖めて、砂糖の袋を開ける。
「量らなくていいの?」
「目分量で大丈夫ですわよ。この袋だと半分くらいかしら」
「ふーん。簡単に出来るんだねー」
「もう覚えました?」
「うん、だいたい」
「そう言って頂けると教え甲斐がありますわ」
買い物をしていた時よりも楽しそうだと、ディアスは後ろで二人の様子を眺めていた。はっきり言って暇である。セリーヌが書いた調合法の紙を読んでみたりもするが、企業秘密と言うだけあって妙な暗号の羅列だ。意味が分からない。
「ちょっとディアス、お暇なら手伝って下さいます?」
ヤカンをかき混ぜているレオンの隣で、セリーヌがディアスを振り返った。
「何をするんだ」
「パンにバターを塗るとか、缶詰を開けるとか、色々あるでしょう? そこのイチゴも洗って切っておいて下さいな」
「分かった」
ナイフを取って、ディアスは水場に立つ。
「食べちゃダメですわよ」
イチゴのパックを手にしたディアスに、すかざずセリーヌが言った。
「誰も食わん」
時々、ある意味レオンより子供扱いされているかもしれないと思う。
「後はお願いしますわ。私は栄養剤を作りませんと、チサトが待ってますから。レオン、固まってきたら火を止めて味見するんですのよ」
「はーい」
そして、ようやくレナを巨大バーニィから引き離したアシュトン。
「そんなにバーニィばっかり買ってどうするんだい?」
これでもかと言うくらい買い物かごに詰まったぬいぐるみを見て呟く。
「みんなのお土産よ。黄色がセリーヌさんとオペラさんとチサトさんで、緑がクロードとレオンとディアス、青はミラージュさんとナールさん、ピンクがノエルさんとマリアナさんなの。アシュトンは何色がいい?」
「いや、僕はいいよ」
「あっ見てアシュトン! バーニィまんじゅうだって! かっわい~!」
「レ、レナ…」
アシュトンが下げている紙袋には、既にバーニィケーキ、バーニィせんべい、バーニィ飴と土産物屋を回った成果がずっしり重い。レナはよほどバーニィが気に入ったようだ。
「オペラさんのワインも買わなきゃね。レナ、僕ちょっと隣のお店に行ってるよ」
レナを一人にするのも心配だなと思いつつ、アシュトンは並びの洋酒専門店へ向かった。
「いらっしゃいませー。よかったらこちらどうぞ。新作シャンパンの試飲です」
「あ、どうも」
店に入るなり女性店員に差し出された銀色のトレーから、アシュトンは紙コップを一つ取る。
「こちらはパッションフルーツを使用していて、若い方に人気があるんですよ」
「へえ、美味しいですね。こっちは違う味なんですか?」
トレーに残っているコップを指して尋ねると、女性店員は笑顔で答えた。
「こちらはピーチです。どうぞ飲み比べて下さいね」
アシュトンから空いたコップを受け取って、トレーに乗っていたピーチのシャンパンを渡す。
「いかがですか?」
尋ねられて、うーんと唸るアシュトン。この手の販売に弱いのか、それとも女性の笑顔に弱いのか、最初に飲んだ方を指して言った。
「僕はこっちの方が好きかな。これ一つ頂けますか」
「はい、ありがとうございますー」
「それと、ワインは何かお勧めってあります?」
「そうですね、グランエシェゾーなんかは人気がありますね。ドゥルフォールビバンもよく出ますよ。お値段も手頃ですし」
「そうか…それじゃあ両方貰おうかな」
せっかくなので、勧められた両方を買うことにする。
「ありがとうございます。すぐにお包みしますね」
「お願いします」
アシュトンが手際よく買い物を済ませている間に、レナも会計を終えたようだ。洋酒店の前でアシュトンが出てくるのを待っていた。
「ごめん、待たせちゃったかな」
「ううん。私も今終わったばっかり。それより見て見て! ヘラッシュも買ったの~!」
「そ、そう。よかったね…」
アシュトンの心配通り、買い物袋にはバーニィどころかヘラッシュのぬいぐるみまでぎっしり詰まっていた。
ディアスは調合に精を出すセリーヌの向かいに座って、食パンの耳を切り落としていた。
「何が入っているんだ、それは」
テーブルの上の、ほとんど完成しかけている液体を見て尋ねる。
「秘密ですわ。エクスペルに戻ったら調合法をラクールアカデミーに売るんですから、今教えちゃったら意味がありませんもの」
「売るのか」
「特許は間違い無しですわ。ディアスも試してみます?」
「後でな」
言いながら、ディアスは鶏の焼き加減を見ているレオンに目をやる。
「あいつがいなくなってからだ」
「何考えてますのよ、馬鹿」
セリーヌは言い捨ててレオンのところへ行ってしまった。鼻で笑って、ディアスはイチゴを口に運ぶ。
「あ! ディアス兄ちゃんつまみ食い!」
「ふん。さっさと作らんとなくなるぞ」
「あとちょっとだよ。そんなことばっかりしてるとセリーヌお姉ちゃんに嫌われるぞ」
「黙れ」
レオンにからかわれるディアスに、まったく子供みたいだとセリーヌが笑い出す。
「何が可笑しいんだ」
「大人げ無いですわよ、ディアス」
「うるさい。早くやれ」
ディアスはふてくされて耳の無くなった食パンにバターを塗り始めた。
「セリーヌお姉ちゃん、このくらいでいいかな」
フライパンの上で鶏をひっくり返してレオンが尋ねる。
「そうですわね。上手に出来てますわよ」
「本当? やったぁ」
「後は切るだけですわね。私がやっておきますわ」
「じゃあ僕はフルーツサンドを作るよ」
レオンは踏み台から飛び降りると、冷蔵庫で冷しておいたヤカンを取り出す。
中身になる果物類は、既にディアスが準備していた。
「どんどん作るから早くバター塗ってね」
ディアスの隣の椅子に座って、レオンはバターを塗り終えた食パンにカスタードクリームを重ね塗りする。
「これもお願いしますわ」
セリーヌが手ごろな厚さにスライスされた鶏の照り焼きをテーブルに置いた。
「レオン、つまみ食いしないようにディアスを見張っていて下さいな」
「はーい。だめだからね、ディアス兄ちゃん」
「分かっている」
クロード、オペラ、チサトの三人は、鬼気迫る形相で作業を続けている。
「やべっ! 消しちゃった!」
「何ですって!?」
「こっちに残ってるわよ。どれ消えたの?」
「えーと『力の場山頂にて謎の遺跡発見』だったかな」
「力の場ね、あった。赤外線で送るわ」
「すみません」
「今度は気をつけてね」
「オペラ、こっち上がったわ。お願い」
「了解」
「クロード君、出来てるやつからどんどん送っちゃって」
「はーい」
「写真入るところはFAXも流しといてね」
「はいはーい」
「クロード、ビール足りないわよ」
「はいはいはーい」
「あー栄養ドリンクなくなって来たわ」
「新しいのまだ来ないの?」
「さっき会った時、今から作るって言ってたけど」
「それまで持つ?」
「なるべく早くって言っといたし、大丈夫でしょ」
「チサトさん電話鳴ってますよ」
「また!? はい、もしもし!」
『原稿届いたぞ。この分なら間に合いそうじゃないか』
「そんなことでいちいち電話してこないで下さいっ! もう切りますよ!」
『お、おお、頑張れよ!』
「まったく編集長も暇なら手伝えってのよ!」
「編集部は暇なわけ?」
「そんなこと無いと思うわよ。締切りはみんな同じだし。ま、編集長も明日になれば電話してる暇なんか無くなるんじゃない?」
「やっぱりハードですよね。新聞記者って」
「さあ、今夜も張り切って徹夜よ!」
「はあ…」
「やっぱり徹夜なのね…」
外では、もう陽が暮れ始めていた。
調合が一段落したセリーヌは、レオンが作る照り焼きサンドを三角形に切っていた。フルーツサンドは既に完成して、行儀よく皿に並んでいる。
「セリーヌお姉ちゃん、これで最後だよ」
レオンが最後の一つをセリーヌに渡す。
「頑張りましたわねレオン。チサトたちも喜びますわ」
「おい、借りて来たぞ。これでいいのか?」
食堂へ行っていたディアスが二段のサービスワゴンを引いて戻って来た。
「あ、お帰りディアス兄ちゃん。ご苦労さま」
ディアスからワゴンを預かると、レオンはそれをセリーヌのところまで押して行く。
「レオン、これも一緒に持って行って頂けるかしら」
「うん。いいよ」
レオンは弾んだ調子で返事をして、セリーヌから大量の栄養ドリンクを受け取った。ワゴンの下の段に並べる。
「あまり調子に乗っているとひっくり返すぞ」
「分かってるよ。行ってきまーす」
上の段にはサンドイッチの並んだ皿を二つ乗せて、レオンは部屋を出て行った。
「可愛いですわね、レオン」
レオンを送り出したセリーヌが微笑みながら呟く。
「そうか? 小生意気なだけじゃないのか」
ディアスは疲れたように椅子に座り込んだ。
「男の子はあれくらいが普通ですわよ。ディアスもそうじゃありませんでした?」
「もう忘れた」
口ではそう言いながら、確かにそうだったかもしれないと思う。
そう言えばセシルやレナがレオンくらいの歳だった頃は、化粧だの宝石だのと妙に大人ぶった話をして、見ている方はその不似合いな会話が微笑ましかったものだ。
「やっぱり女がいいな」
「何ですの? やっぱりって」
「いや、何でもない」
しまったと思ったがもう遅い。セリーヌはじっとディアスを見て、意味有りげに言った。
「私は男の子がいいですわ。ディアスにそっくりな子」
「…………」
思わず言葉を詰まらせるディアスに、いたずらな笑顔を見せるセリーヌ。一体いつの間にそんなことまで声に出していたのだろう。記憶には無いが。
「飯を食いに行くぞ」
どうしたって敵わない。全部見抜かれてしまう。
「ご馳走して下さいます?」
おまけに抜け目無い。
「分かった。行くぞ」
「下の酒場がいいですわ。味噌煮込みが美味しいんですのよ」
「そんなものばかり食っていると太るぞ」
「うるさいですわね、もう」
部屋に残された暗号の紙に、バイオレントピル、マリオネットピルなどいかがわしい薬の名前が記されていた事はセリーヌだけの秘密である。
クロードは独り言を洩らしながらチラシをめくっていた。
「あっ! 蕎麦屋は休みかぁ。天ざる食いたかったのになぁ。カレーは昨日食べたし…」
「ピザはいやよ。夜中にカロリー高いもの食べさせないで」
「うっ」
思いっきりピザ屋のチラシを見ていたクロード、オペラに咎められてあわてて選び直す。
「ええと、うなぎはどうですか」
「高いから経費扱いになんないわよ」
「うーん、寿司屋も定休日ですよ。また中華ですかね」
「いいんじゃない? メニュー多いし。私カニ玉ね」
「昼もそれだったわね。好きなの?」
「んー別に、何となくそう言う気分なのよ」
「オペラさん、いいですか中華で」
「そうね。何か野菜もの、適当に頼んどいて」
選択を任されたクロードは下手なものは頼めないと真剣にメニューを目で追う。誰かが扉をノックしたが、青菜の塩炒めと麻婆茄子のどちらを選ぶかに全力を注いでいたので気づかなかった。
「ちょっとクロード、誰か来たわよ」
オペラが入力作業の片手間にクロードを呼ぶ。
「あ、はいっ」
すっかり雑用係と化しているクロード。やはり何の疑問も抱いていないらしい。縦社会の軍で、上官には無条件に従うものであると教え込まれたせいだろう。いま出ますと愛想よく言いながら扉を開けた。
「レオン、どうしたんだ?」
「差し入れだよ。入ってもいい?」
クロードの了解を得て、レオンはサービスワゴンをガラガラ押しながら部屋に入る。
「あら、気が利くじゃない。ちょうど出前を頼もうと思ってたとこよ」
オペラが作業の手を止めて、テーブルを片付け始めた。
「ほんと? 間に合ってよかった」
「へえ、これレオン君が作ったの? 美味しそうね」
机にかじりついていたチサトも手伝いにやって来る。
「うん。セリーヌお姉ちゃんとディアス兄ちゃんも一緒に作ったよ。あとね、これセリーヌお姉ちゃんから」
レオンはしゃがみ込んで、ワゴンからごっそり栄養ドリンクを取り出す。
「助かるわぁ。これで徹夜も乗り切れそうね」
両手いっぱいの小瓶を受け取って、チサトが言いながら机に並べる。
クロードはうまそうだなぁと照り焼きサンドをつまもうとし、まだダメよとオペラにその手をはたかれている。
「じゃあ僕は行くよ。お仕事頑張ってね」
「待って待って。一緒に食べましょうよレオン君」
空のワゴンに手を掛けたレオンをチサトが呼び止めた。でも、とレオンが口ごもる。
「みんなの邪魔になっちゃうよ」
「何言ってるの、レオン君なら大歓迎よ。ね、みんな」
チサトはそう言ってワゴンを部屋の隅に移動させる。
「今戻るとディアスに怒られるんじゃない?」
オペラが片目を瞑った。クロードはいつの間にかお湯を沸かしている。
「レオンもラーメン食べるか?」
夜食用に買い置いてあったカップ麺の包みを破きながらクロードはレオンに尋ねた。
「クロード、あなたそれも食べるの?」
「だって僕サンドイッチだけじゃ足りませんよ。レオンも足りないだろ?」
クロードのカップ麺は既に準備万端でお湯を待っている。
「塩としょうゆがあるぞ。あと焼きそばとワンタン麺」
クロードが袋ごと持って来てレオンに見せた。
「レオン君、遠慮しなくていいわよ。好きなの選んじゃって」
チサトも言う。もうすっかり仲間の一員だ。嬉しくなってレオンは元気よく答えた。
「じゃあ僕、クロード兄ちゃんとおんなじの!」
「よし、すぐ出来るから待ってろよ」
「うん!」
「レオン、こっち座りなさい。端末の使い方教えてあげるわ」
「あ、いいわね。後でレオン君にも手伝ってもらいましょうか。クロード君の仕事なら簡単だし」
「え! じゃあ僕は雑用に格下げですか!?」
「格下げも何も、ずっとそうだったじゃない」
「クロード君にはお茶くみと言う大事な役目があるでしょ!」
「オペラさんもチサトさんもひどいや…」
「クロード兄ちゃん、こっちは僕に任せてよ!」
「レオンまで…」
いじけたようなクロードにみんなが笑い出す。クロードもつられて笑ってしまった。
暖かな笑い声に混ざって、湯気に煽られるヤカンの蓋がカタカタと鳴っていた。
翌朝、早くからレナはアシュトンを叩き起こす。
「アーシュトン! もう朝よ!」
「ううん…」
アシュトンは枕を抱えて寝返りを打った。アシュトンの背中に潰されてギョロとウルルンが騒ぎ立てる。
「なんだよ、ちょっと静かにしてよ~」
レナはかなり激しくアシュトンの体を揺すっているが、アシュトンは気付いていないようだ。竜たちに向かって唸りながら、もう一度寝返りを打つ。
「アシュトンてば! ア~シュ~ト~ン!」
「う~ん、レナぁ?」
何度も揺さぶられてようやく目を覚ましたアシュトンが、枕を抱えて起き上がる。
「おはよう! さ、早くご飯食べてゲームセンターに行くわよ!」
レナは朝から元気だ。お目当てはバーニィのシューティングゲームである。ホテル内にあるゲームセンターで、昨日も夜遅くまで熱中していた。アシュトンがなかなか起きられなかった理由はここにある。
「え、だってもう帰る準備しないと」
「だから早起きしたんじゃない。帰る前にちょっとだけ。いいでしょ?」
「いいけど…本当にちょっとだけだよ?」
画面を跳ねるバーニィに五時間ほど夢中になっていた昨夜のレナを思い出し、一応念を押すアシュトン。
「うん。じゃあ私、先に食堂に行ってるから。早く来てね」
言うが早く、レナは駈けて行ってしまった。アシュトンは顔を洗いに洗面台に立つ。
「………」
何気なく鏡を見る。開けっ放しの洗面所のドアの向こうに掛け時計の文字盤が見えた。左右がひっくり返っていてもはっきり時刻が分かる。
「げっ。まだ六時だ」
昨日セットしておいた目覚し時計が鳴るまであと二時間。レナが向かったレストランはたった今店を開けたばかりだ。
「まあ、いいか。レナ楽しそうだし」
レナが留守なのをいいことに、ディアスはセリーヌに抱き付いて寝ている。セリーヌも追い返すのが面倒だったのでそのまま放って置いたのだが。
「ちょっとディアス、離して下さいな」
「…………」
離してくれる様子もなければ起きる気配もないので、セリーヌは先ほどから身動きが取れないでいる。
夜中に人の部屋に来て何かと思えば朝は朝でこれだ。やはり追い返せばよかったとセリーヌは今になって思った。
「もう、レナが帰って来ちゃったらどうするんですのよ」
「まだ大丈夫だろう」
寝言のようにディアスが返す。やっと起きてくれたようだ。しかしその腕はしっかりセリーヌをつかまえている。
「起きたんですの? だったら早く離して頂戴」
「まだ大丈夫だと言っているだろう」
「そう言う問題ではなくて、私やることがあるんですの。ディアスが離してくれないと起きられませんわ」
「仕方の無い奴だな」
不満そうに言いながらディアスはセリーヌから腕をどける。
「それはこっちの台詞ですわよ」
ため息混じりに言ってセリーヌはベッドを降りた。
まだ眠いのかベッドの上に座ったまま置物のようにじっとしているディアス。着替えようとクローゼットに掛けてあった服を取り出したセリーヌに向かって、ぼそりと呟いた。
「手伝ってやろうか」
チサトに聞かれたら三面記事のネタにでもされそうな発言である。
「最近、性格変わったんじゃありません?」
「そんなことはない」
と言いつつ、ディアスはベッドから降りて、セリーヌの寝間着を脱がそうと腰帯に手を掛ける。
「流星よ来れ」
ドスのきいた声でセリーヌが呟いた。瞬時に核弾頭まがいの流星が何処からともなく現れ、十五連射でディアスの後頭部を直撃。
「もう少し寝てらしたら?」
床でのびているディアスに涼しい声で言って、セリーヌはさっさと仕度を済ませると部屋を出て行った。
音を立てて机にペンを置くと、チサトは誇らしげに立ち上がった。
「終わったわ!」
思わず叫んでしまってから、慌てて口元を押さえる。
徹夜に付き合ってくれていたレオンはオペラのベッドで眠り込んでいた。生意気盛りの少年も、寝顔は年相応に可愛らしい。
「オペラ、後お願いね」
心持ち小声で言って、チサトはオペラに原稿を渡す。
「これでラストね」
最後の原稿を待っていたオペラが全速力でタイピングを開始。その後ろで、クロードは先程からずっと肩叩きに励んでいる。
「じゃ私も寝るわ。おやすみ~」
そう言い残してチサトは自分のベッドへ倒れ込んでしまった。寝息が聞こえて来るまでに数秒と掛からない。
「よっぽど疲れてたんですね、チサトさん」
「ずっと寝てなかったんでしょ? そっとしておいてあげましょう」
「はー。僕らも疲れましたね。あ、お茶入れますか?」
「コーヒーがいいわ。濃いやつ」
「はーい」
景気の良い返事をして、クロードはヤカンに水を溜めるとコンロに乗せる。この動作も何度やったことだろうか。やっと開放される、と感嘆の息をつきながらコーヒー粉の瓶を取る。その隣にごっそりあった怪しい栄養ドリンクは、既に残り僅かとなっていた。
クロードがコーヒーを準備している間にオペラは入力を終わらせたようだ。もう送っちゃうわよ、と言いながら誤字脱字の確認にモニターの文字を目で追っていた。
「相変わらず早いですね」
インスタントコーヒーをかき混ぜつつクロードはオペラの手際良い作業を眺める。
「はい、出来た。FAXだけお願い」
「お疲れ様です」
カップと引き換えに印刷された原稿を受け取って、今度は電話機の前に立つクロード。締切りの時間まで若干余裕がある。いい仕事をしたかな、と思う。
「さーて、レオンがここで寝ちゃってるし、私はクロードの部屋で寝ようかしら」
「えっ!?」
「なーに期待してるのよ、連邦士官」
コーヒーカップを片手に、オペラは笑いながらクロードの頭を小突いた。
「ちぇっ、ずるいよなぁ。こんな時ばっかり」
「せいぜい精進しなさい。道は険しいわよ」
「はーい。努力しまーす」
ディアスが目を覚ましたのは夕方近くだった。後頭部を押さえながらふらふらと部屋を出る。今日は他に宿泊客もいないらしく、廊下は静かだ。談話室でアシュトンとセリーヌが何か話していた。
「帰っていたのか」
「あ、ディアス。ただいま」
「ああ」
「これお土産。はい」
「俺にか?」
待ってましたと言わんばかりに袋から出てきたグリーンバーニィを渡されて、ディアスは思わずそれとアシュトンとを見比べた。セリーヌの隣にも色違いのぬいぐるみがちょこんと座っている。
「うん、まだこんなにあるんだよ…ほら」
アシュトンの足元に山ほど置かれていたお土産の袋には、バーニィのぬいぐるみに始まってバーニィ型のクッキーやら饅頭やらケーキやら、更には『バーニィ鍋の素』まで入っている。そしてとどめのヘラッシュ人形。呆れて物も言えないディアスに代わってセリーヌが呟く。
「こんなに沢山どうするんですの?」
「なんかネーデ防衛軍のみんなにも配るらしいですよ」
「そ、そう」
「レナはどうしたんだ?」
「厨房を借りれるように頼みに行ってるんだ。クッキングマスターでたくさん食材をもらったから、今日の夕食は僕とレナで作ろうと思って」
「そうか」
短く言って、ディアスはセリーヌの隣に腰を下ろす。向き合う格好になったアシュトンにテーブルの上のバーニィせんべいを勧められて一つ手に取った。そこへレナがご機嫌な調子でかけて来る。
「あ、ディアス! 今ごろ起きたの? 寝ぼすけなんだから」
「うるさい」
不機嫌そうに言うと、ディアスは後頭部を押さえてため息をつく。
「どうかしたの?」
「何でもない。気にするな」
「ならいいけど。具合が悪いなら言ってね」
「ああ」
「レナ、どうだった? 厨房は借りられた?」
「うん! 早速始めましょ!」
レナは言いながらお土産と一緒に置かれていた食材の袋を取る。アシュトンは洋酒の袋を持って立ち上がった。
「じゃあ、ちょっと行って来ますね。出来たら呼びますから」
「楽しみにしてますわ」
「任せて下さい」
セリーヌの言葉に嬉しそうに応えて、レナとアシュトンは連れ立って行った。
二人を見送りながらセリーヌが何食わぬ顔で尋ねる。
「もう具合はいいんですの?」
「おかげさまでな」
ふてくされて言うディアスに、セリーヌはくすくす笑い出した。
「クロード達はまだ起きて来ないのか」
「徹夜だったみたいですわよ、昨日。寝かせておいてあげましょう」
「そうか」
ディアスはまた頭を押さえてため息を洩らす。
「セリーヌ」
「何ですの?」
「今日はお前が徹夜だぞ」
「あら、それじゃあ新しい栄養剤を試して頂こうかしら」
「………いや、いい。今のは忘れろ」
「そう?」
やはりセリーヌの方が一枚上手だ。ディアスは決まりが悪そうにバーニィせんべいの袋を開ける。
枕元に置いちゃおうかしら、と言ってセリーヌはバーニィのぬいぐるみを手に席を立つ。せんべいを噛み砕きながら、誰も喜ばないぞ、とディアスが笑った。
厨房にはレナとアシュトンが握る包丁の音が響いている。寝室では仕事を終えた四人が、それぞれ夢見心地に寝息を立てていた。