#シンガーソングライターのメイコさんと新人のルカさんの話。
#メイコさんは天然タラシなので。
piece
有線放送から聞き覚えのあるイントロが流れて、私は思わず顔を上げた。
仕事の合間に入ったレストランで、食後のコーヒーが運ばれてきた直後だった。
歌っているルカの声が今より少し若い。けれど今と変わらす透きとおった、真っ直ぐに響く声。
懐かしい歌だ。もう十年も前の。
その日は新しく書いた曲のデモ音源をスタジオで撮った。
新しい曲は自分でも上出来で自信があったけれど、デモ音源を聞いてみて、何か違うように思った。
この歌を完成させるピースが何か足りない。
スタジオの休息室で、自分の歌声を聞いて頭を抱える。
こう言うことが時々あった。うまくは表現できないけれど、この歌は私じゃないと、作った私がそう思うのだからそうなのだ。
これはお蔵入りかもしれない。私はコーヒーテーブルに楽譜を放り出して、ソファの背もたれに身体を預けた。
不意にすぐ側のレコーディング室の扉が開いて、スタッフが出入りする物音の奥から収録中の歌が聞こえて来た。
ドアが閉まるまでの合間にほんの一節だけ聞こえた歌声は、透明で繊細で真っ直ぐで、私は思わずコーヒーテーブルに散らばった楽譜に目をやる。
私が書いた曲、けれど私が歌いきれなかった曲、いくつもあるそれらを、この声ならもしかして。
そんなことを考えていると、思いがけず声の主が休息室に入ってきた。
「お疲れさまです」
ルカは私の姿を見てすかさずぺこりと頭を垂れる。真面目な子だなあと思う。
新人だからと言うよりも、この子の性格なのだろう。初めて会った日にも丁寧な挨拶をしてくれたし、今だってスタジオで空いたペットボトルやお菓子のゴミを、スタッフの分までまとめて片付けに来たらしい。
ルカはゴミをきちんと分別したあと、自販機で新しいミネラルウォーターを買っていた。
「ここ空いてるよ」
そう言って私が座るソファの隣に招くと、はにかみながら腰掛ける。
その様子が可愛らしい。外向きにはクールで近寄り難いイメージを付けていきたいようだけれど、私から見たルカは可愛くて繊細で、ガラス細工のような子だ。
少しのあいだ雑談して、スタジオ収録にまだ慣れなくて戸惑うことや、それでも収録は順調でスタッフに褒めてもらえたことを聞いた。
そうしてそれらの話の合間にちらりと、私が投げ出した楽譜に目をやるのだ。
「見る?」
私は楽譜を集めて差し出す。
ルカは持っていたペットボトルをテーブルに置いてから、恭しくそれを受け取って一礼した。
そんなに仰々しくしなくても良いと思うけれど、私の歌を大事に扱ってくれるなら嬉しいことだ。丁寧に両手で楽譜を持ってしばらく読んだかと思えば、やがて口ずさむ。
「その歌」
気に入ってくれたか聞こうとしたけれど、私は缶コーヒーを一口飲んで考え直した。
「歌ってくれる人、募集中」
ルカはきょとんとした顔をする。
「メイコさんは歌わないんですか?」
そう言って楽譜と私を見比べている。何だか少し可笑しかった。
「そうだね」
私は短く返す。その理由を、やっぱり上手く説明できる気がしなかった。
「私には表現できない歌が時々あるのよ」
私が書きたいから書いたのに、けれど何かが足りなくて、それが何かは分からない。
「これはそういう歌」
ルカは私の言葉の意味を汲み取ろうとしてか、まじまじと楽譜を見た。
そのガラス細工みたいな青い瞳に、私は前触れもなく腑に落ちた。
「ねえ、私の歌を歌ってくれない?」
唐突だっただろうか。ルカはそれはそれは驚いた顔をしていた。まだお互いのこともよく知らないのだから当然かも知れない。
けれど私が歌いきれない世界を歌うのはきっとこの子だ。
ルカは少し考えて、やがて楽譜を抱きしめるようにして答えた。
「私でよければ、喜んで」
この十年の間に何度となく作ってきた二人の歌の、それが始まり。
レストランに流れる有線放送は、知らない曲のイントロに移っていた。
コーヒーは少し冷めて飲みやすい温度になっていた。
この後はスタジオに移動して、ルカの収録に立ち合うことになっている。
スマートフォンが光って着信を知らせた。ルカからのメッセージが届く。
『早く着いたので練習します』
私は思わず顔をほころばせた。相変わらずルカは真面目で、私の歌を大事に扱ってくれる。
まだコーヒーが半分ほど残っていたけれど、私は伝票を取って、ルカの待つスタジオに急ぐことにした。